| 安宅久彦は「内声の政治学17」で、インターネットの言説空間は便所の落書 きに比することが出来ると喝破している。 (http://www.indierom.com/dengei/rensai/nai17.htm)
そうしてみれば、前回の「電藝批判、そして/あるいは、ザッピング・ザ・メ
ルマガ」も畢竟、便所の落書きだ。 もちろん美しい落書きもある、と、引用させていただいたメルマガの名誉のた めに言い添えても良い。しかし、問題はそうしたことではない。インターネッ トの言説空間は、総体として便所の落書きと同質ものであるという事実が重要 なのである。「差別落書き」「性的な落書き」「中傷の落書き」、それとこれ との同質性を傍証するネタには事欠かない。 そして、そのことは、インターネットの言説空間は、「内声の政治学」の木霊 する場所であると言うことをも意味する。 しかし、「電藝批判」と「内声の政治学」は現時点で方向性の相違もかいま見 せている。 「内声の政治学」は、「複数の声がこだまする内声空間において、いかにして 「主体性」をたちあげるか。」ということを問うている。 「電藝批判」は、木霊の効果に耳をすまそうとしている。 |

text/金水 正
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