今年の春先に、酷い咳を患って、続けていた週末のランニングを2ヶ月中断し、肋間神経痛が初夏のいまも翳りを残している。熱が出なかったし、咳以外の症状がほとんどなかったので、インフルエンザではないと分かったが、近所の医者に行ってもいつものように風邪ですね、と言われるだけだと思ったので、少し足を延ばして専門の耳鼻科に行くが、不必要に症状を抑える薬を出すばかりで処方された抗生物質もはかばかしい効果がなく咳は治らないので、ある日会社を休んで病院まで出かけていった。この咳の特徴は、咳以外の症状がほとんどないことと、咳き込み始めると喉が詰まって息が出来なくなることである。医者は、肺の音を聞いて喘息でないことを確かめ、レントゲンを撮って結核でないことを確認し、咳止めの薬を処方した。多分、風邪でしょう。酷く咳き込むと、余計に咳き込みますから、あまり咳をしないように努力してみてください。咳が収まってくれば、改善するでしょう。つまり、症状が悪循環を起こすことを抑えるだけで、風邪自体は自然治癒に任せようという訳だ。

それにしても、治らない。私は、インフルエンザではないと見込んだ以上は、細菌による風邪であり、周りでも同じような症状の訴えを耳に挟んでいたので、きっとこれは流行のものであるとふんで、であるからには、この風邪を引き起こす細菌に対する抗生物質が、つまりは処方が存在し、大きな病院に行ったら流行の病への情報も掴んでいようと思ったのだが、当てが外れた気持ちであった。しかも、どうやらこの医者はあまり薬を出さない方針の模様だ。ある日、掛りの医者の当番の日ではなかったが、そうも言っておられず病院に行くと、別の医者は、似たような症状に効果がありそうな抗生物質があるので、それを処方してみましょうと言い、そうだ、そうだ、それを待っていたのだと思って喜んでその薬を抱えて帰ったのであるが、結果的にはさしたる改善も見られず、結局のところ、段々と温かくなるにつれ、徐々に咳は引いていったのである。

しかしながら、嗄れた声はまだかすかに嗄れたままで、咳のいがらっぽさもまだかすかに喉の奥に巣食ったままでいるようだ。何らかの細菌か、細菌様のものが喉の奥で共棲を続けているか、あるいは何かのアレルギーなのかもしれない。

   
text/キムチ
     

キ ム チ p r o f i l e

 

われわれは、細菌に限らず、病の原因はほぼ特定され、やがて根絶されるかのような思い込みを持ちつつあった。しかし、細菌やヴィルスやプリオンといったものの叛乱が、人間がそれらのものを排除するある限界を超えてしまったことを教えているような気がする。養鶏場のゲージの中で多量のレグホンが絶滅するさまは不衛生な近代初期の都市で人が絶滅の危機に見舞われたようなものだろうか?レグホンの住環境を整え、処方を研究すれば、レグホンの大量死は抑えられるかもしれない。しかし、処方の裏をかくさまざまな変異と多様化は、分析と解決の線状(ツリー状)的対処法の限界を嗤っているかのようだ。

0157が猛威を揮っていた頃に、精神科医の中井久夫がこんなことを言っていたように思う。彼が医者になろうとしていたことには細菌学が最先端の学問で、彼が精神科に進もうと考えた理由の一つは、まだ未開の地の残った分野に進もうと思ったことであったと。その後、細菌学には魅力的な分野があまり残されていないように感じられるようになり、細菌学の分野はいま学問としても人材としても貧しい状況にあると。細菌の分野はいま手薄の状態にあり、細菌たちはそこを突いて叛乱を仕掛けてきたのである。

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2004年6月21日号掲載