11月25日

 

日は通院日。

 診察後に心理検査室にて40分のカウンセリング。箱庭療法は今日はなかった。臨床心理士の先生も主治医の先生もとても温かくて、最近は病院に居るのがあまり苦痛ではない。

 家族や近しいひとには云えないことが沢山ある。これ以上心配をかけるのも、乱れているわたしを見せるのも厭だ。でもここでは思いのすべてを吐きだしてもいい場所。『苦しい』と云っても自分を許せる場所。

 これから生きてゆく喜びを知ってゆく少女が殺されてもっともっと生きたいと思っているひとが死んでしまう。なのに五体満足のわたしは死を切望するときがたくさんある。後遺症で躯に残った数カ所の薬疹のケロイド。死ぬまで消えない手首の切り傷。不甲斐ない自分が申し訳なくて謝ってばかりで、でもみんな、そんなわたしを労り優しい云葉をかけてくれる。

 でもね、本当は辛いんだ。労られれば労られるほどに負い目が重くなってしまうんだ。だからもういらないって、大嫌いだって、云ってほしい。

 私の中の彼女はアカリと云うらしい。今日も彼女はわたしを誘惑した。でもアカリの行為や囁きはすべてわたしの渇いた核の部分なんだろう。だから彼女の存在が消えるとわたしも消えるんだろう。

 明日はニュートラルなわたしで少しでも温かく過ごせるだろうか。

  

11月26日

日は雑貨屋さんめぐりをした。

 ダリンの奢りで昼食。吐き戻さずに食べれた。温かい一日。比較的ニュートラルな自分でいられた。こんなにも心が優しい気分は本当に久しぶりだ。ずっとこうしていたい。こんな自分をいっぱい好きになれれば、少しは刃と堕落への逃避の誘惑を振り切ることができるのかな。

 こんな風に思えるのだから、明日だって元気でいられるはずだし、そう信じたい。空や雲、海や山はいつも遠くて、近づきたいって思っても手が届かない。でも遠いものは遠いままでいい。遠くに在っても感じることはいつだってできるのだから。

  

11月28日

日は丸一日寝込んでいた。

 土曜日のお出かけのときにはしゃぎすぎて少し無茶をしたのと、お薬の飲み忘れが原因と思われる。自己嫌悪。でもあらゆる意味で自分の限界を知った。

 『焦っちゃ駄目・ゆっくり・大事に』

 いつも云われるけど少しの無茶はときどき必要。時間が迫ってる。わたしが、わたしを感じていられる時間がこれからもずっと続くなんて保証も確信すらもないのだから。

 今年の2月。自殺未遂をして5日間の入院中。母が仕事を休んできてくれた。母は何も云わなかった。時々、仕事場の話や愚痴などを話しては笑っていた。わたしを責めることも死のうとした理由を言及することもなかった。ただ、世間話をして笑っていた。退院後、ジグソーパズルが趣味の母が完成された状態の1枚のパズル絵をくれた。ゴッホの『ひまわり』だった。母が帰ってから泣き崩れてしまった。お日様を仰いでまばゆく咲くひまわりみたく、生きなさいと云われた気がした。気のせいかもしれないけれど、そんな気がした。

 今日は母にプレゼントするための一枚のパズル絵が完成した。8体の淡い色の可愛いお地蔵様と短い云葉。

 『空があるから  花がさくから  風がふくから
  あなたが  いるから
  とっても
  とっても
  しあわせ  なのです』

  

11月30日

日は朝は気分がよかった。

 お買い物にも行けたし、空に漂う雲を見て、ただ単純な気持ちで、綺麗だなって思った。それなのに、今日ほど自分に絶望した日はないかもしれない。お薬に逃げて、血に逃げて、逃げて逃げて逃げ続けた、そのツケが一気にきた。這い上がれないほど墜ちてる。

 シャワーを浴びて、出かけもしないのに、慣れない本格メイクなんかして、でも所詮は虚飾に過ぎないから、何も変わらない。醜い自分は隠せない。吐いた吐瀉物が自分の姿。もう駄目なのかな。疲れちゃった。もう目覚めたくない。

  

12月01日

好きでほぼ毎日呑んでいたお酒をほとんど呑まなくなった。

 ひとり自室で、チビチビとやるのが習慣だったのに、何故か、長いことここ最近は呑むことに恐怖心がある。悪酔いはしない方だけれど、酔いの少しの乱れが自我を失う乱れに変わってしまいそうで、怖い。だから、最近はお酒は呑んでいない。

 額が切れて、肩胛骨のあたりに青痣。唇も少し腫れている。夜に打ちつけたようだ。睡眠薬による健忘か、発作によるものなのか。不明です。

 姉上の企画で、年越しは温泉で親孝行。皆張り切っている。母も喜んでいる。わたしはといえば、正直考えるだけでも不安で仕方がない。なんとか2日間、誤魔化しでも乗り切らなければならない。

 『また明日、頑張ってみようよ。』

 わたしには、今日この一日が精一杯です。ただ明日はお日様の光の眩しさに負けないようにと、眠りという仮死状態の中で祈っている。

 

12月02日

きとおるような冬の空を見て、数年前の粉雪が舞っている落日の出来事を思い出した。

 林檎の皮もむけないほど、料理なんて全然できなかったけど、ご馳走とは程遠くとも、その日は食卓を手料理で飾った。冬独特の落日の蒼い空気と、花弁のように舞う粉雪。コートも着ないで、外に飛び出したのはきっと、蒼い冷たさと舞う粉雪に溶けてしまいたかったから。何度裏切られても、いつも待ってた。今日だってきっと裏切られると、どこかで思っていても、待たずにはいられなかった。携帯電話を握って、濡れてかじかんでゆく躯の感覚が逆に期待を大きくさせて、妙に幸せな気分だった。

 やがて外は真っ暗になって、濡れた髪が少し凍っていた。凍てついて感覚が麻痺してる手で玄関の戸を開けて、冷めた料理を手づかみで一口食べた。不味かった。胃のあたりから、ケイレンみたいな笑いがこみあげてきて、クスクス笑いながら、ゴミ箱に作った料理を放り込んだ。

 裏切られるとわかっていても、待たずにはいられず裏切りを知ったとたんに、喜劇まがいの夜に、ひとり狂い。互いに血塗れになるほどの激しい愛。遠慮気味な仕草から恋がはじまり、次第に互いの存在に溺れてゆく。真の愛のゆきつく果ては、きっと破滅なんでしょう。

2005年12月5日号掲載

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