12月06日

 

痛と虚脱状態からなんとか這い上がり 久しぶりに外に出た。風が冷たくて、とても寒かったけれど気持ちがよかった。

晴天でもない淡い空の青。見捨てられたような雑草とゴミで水の見えない小川。戦闘機の爆音や、演習場から地鳴りのように響いてくる砲弾の音も今日はなんとも感じなかった。

買い物ついでに少し歩いて、少しだけ外の日常の世界に溶け込めた気がした。お薬のせいか顔色が悪いので、少し俯きがちだったけれど、気分が良かった。外で遊ぶのが大好きで、人見知りだけれど友達や知人とか、人といつも接しているのが当たり前で、それが恐怖ではなかった頃。普遍の日常の大きな輪の中に、いつもしっかりと自分が居た頃。そんなわたしを取り戻したい。

何の悪意もない、とりとめもない言葉や行為や仕草ひとつを、時折自分への攻撃や悪意だと思ってしまうのは、きっと自分を好きになれていないから。自分を大切に思えないから。

  

12月07日

の躯で夜更かしは少々無茶だと知りつつも、懲りずに無茶して今日は昼前に脱力起床。毎日、ほぼ早寝早起きで生活しているので、当然生活リズムは崩れ、躯に良く設定されている服薬時間も当然ずれてしまった。

散歩がてら買い物に行きたかったが無理だった。なんやかんやと、ぽかんととぼけた顔をしていたらあっという間に夜になり。『その日一日 自分なりの最善を尽くす』という決心は、今日は成せず。

死にたい気持ち、すべてを破壊してしまいたい気持ち、いっそ戻れないほど狂ってしまいたい気持ち。押さえ込むには今はまだ、お薬の力を借りたり、その鋭利な衝動を感じたまま床にて脱力したり。そんなことの繰り返し。でもいつかは、せめて来年の今頃には、真の意味でニュートラルな私で在りたいと思う。

今こうして綴っている今も、不安と絶望の毒が私をゆっくりと熱い感触で侵しはじめている。

  

12月10日

後十時に眠り薬を飲んだものの、約一時間後に中途覚醒。躯は泥のように重たくふらつくものの、眠気どころか妙に眼が冴えている。

Colemanのランプをつけて、アベ・プレヴォの『マノン・レスコー』を読む。

ファム・ファタルなる云葉を知ったのは十九歳のとき。リリアーナ・カヴァーニ監督の『愛の嵐』を楽器の師匠宅でと観たとき。シャーロット・ランプリングのサスペンダーと軍帽姿にあの視線は、当時の私にはかなりショッキングだった。それからは、ジャンヌモローやアンナ・カリーナなど、アンニュイに、そして奔放に振る舞い、男性を無限地獄へと堕落させてゆく。そんな『ファム・ファタル』に羨望を抱きながら浸りっぱなし。無論、私のような女は、そんな『ファム・ファタル』なる魅力も据わった度胸など微塵もないけれど。

外は除雪しなければ車が発進できないほど雪が積もっている。横なぐりの吹雪。

  

12月11日
『人

間の幸福の敵は 苦痛と退屈である』ショウペンハウエル

ひとは誰しも何かしらの苦痛や苦悶を抱えていると思う。ショウペンハウエルのこの云葉は素晴らしく、哲学的にも見事だと思う。自分自身についても、深く考えてしまう云葉のひとつになっている。人間の苦痛といえばやはり精神的なものだと思うし、私の苦痛もそれだと思う。退屈は、と考えたときに思ったことは、きっとそれは、苦痛が退屈を産むことではないかということで。私自身の日々の体験からこう考えるに到ったのだけれども、精神的に苦悶したり、それが深い虚脱と脱力になったときに、なんとも云えない退屈が生じるような気がするのです。

ひとことで退屈と云ってもやることは案外あって、退屈しのぎになることもあるのだけれど、それすらもやる気になれず、憂鬱になってしまうような状態が、苦痛が産んだ退屈なのではないかなと思ったのです。

頭痛のするような苦痛もなく気分も晴れていれば、退屈なことはないように感じたのです。

  

12月12日

オルで頸部をきつく巻き、さらに太めのベルトをタオルの上にきつく絞め。事前に少量の睡眠薬を飲み、静かに横たわった。

耳鳴りのような、キーンという音が次第に大きくなるとドクンドクンという、重たく強い鼓動が音と共に全身を揺らす。耳鳴りが止み、視界が少し明るくなったように感じた。

このまま、死ぬんだな。死んだ後に、見られたら厭なもの捨ててないな。お墓に入るのは厭だから、散骨してと遺書も書いてないな。次第に意識が薄れてゆく中でこんなことを考えていた。本当は怖かったのだと思う。

病院に搬送されることもなく、昨夜はそのまま眠った。タオルとベルトは破棄されていた。今朝目覚めると、毛布がかけてあった。『今日は夜、どこかで飯でも喰おう』と携帯にダリンよりメール。その後も労りのこもったメールが何通か届いたが返事を送る云葉が見つからない。

今は、何も考えられない。

2005年12月19日号掲載

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