吉 岡 実

 さて今回は吉岡実。だいたいこの連載も40回近くになろうというのにこれまで一度も吉岡実を出さない方がどうかしているという抗議の投書も編集部の方が山積みに…というのは嘘ですが,吉岡実がそれほどの詩人であることは冗談など受け付けないような事実である。昭和後期(つまり1945年以降)においては最大の詩人であるという評価を下す人も多い。

 1919年生まれ。初期では「静物」という詩が有名。この詩に影響を受けたと告白する詩人は実に多い。ソリッドな比喩の世界がそこにはある。ぼく自身のことを言えば,高校生の頃読んだ彼のエッセイの中で,ある詩句を思いついても慌ててそれをメモするようなことはしない,本当に大事な詩句ならまた必ず浮かんでくるからだというような意味のことを書いているのを読んで驚いた記憶がある。あるいは,「ふと」という言葉を詩の中で使うのは嫌いだというのを読んだこともあってこれにも驚いたことがある。ちなみに当時ぼくが愛読していた清岡卓行は「ふと」という言葉を詩の中で多用する詩人であった。

 さらに第3詩集の表題作ともなっている「僧侶」という長い詩も,代表作だ。後には『サフラン摘み』という詩集でさらに高い評価を得る。だが後期の詩集『薬玉』を最高作として挙げる人も多い。ぼく自身に関して言えばこの詩集に最も衝撃を受けた。表題作を挙げる。長い詩なので第1部だけ引用する。

 薬玉
 
    1
 
  菊の花薫る垣の内では
  祝宴がはじめられているようだ
  祖父が鶏の首を断ち
           三尺さがって
                 祖母がねずみを水漬けにする
  父はといえば先祖の霊をかかえ
                苔むす河原へ
  声高に問え 母はみずからの意志で
                  何をかかえているのか
  みんなは盗み見るんだ
            たしかに母は陽を浴びつつ
            大睾丸を召しかかえている
     萬歳三唱
  満艦飾の姉は巴旦杏を噛む
              その内景はきわめて単純化され
                            ぴくぴくと
                       肛門は世界へ開かれている
  真鍮の一枚板へ突き当り
             死にかかっているのが
                       優しい兄である
  かげろうもゆる春の野末の暗がり
                 蕨手のように生えてくる
  それがわが妹だ
         だれだって拍手したくなる
  家系の順列ととのえ
           二の膳 三の膳もととのう夜
  ぼくは家中をよたよたとぶ
              大蚊をひそかに好む
  青や黄や紅色で分割された
              一族の肉体の模型図ができ上がる
              その至高点とは今も金色に輝く
  神武帝御影図
        嗚呼 薬玉は割られ
        神聖農耕器具は塵埃にうずもれていき……

 『薬玉』は1983年刊。行が下がる独特の書き方をし始めた詩集だった。

 その後『ムーンドロップ』という詩集を出したが,これが生前最後の詩集となった。1990年に世を去ったからだ。

 吉岡実はエッセイの書き手としても評価が高い。常に偉大なる詩人の趣を湛えている人だった。

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