*M・コズモ02号
(1987年12月20日)より転載

はじめから読む

text/安宅久彦who?

 浜辺には土地の老人や漁村のおかみさんたち以外は歩く人もいない。海岸道路に沿って建ち並ぶ簀張りの海の家の類も今は店を閉じている。

 時おり海岸通りを、サーファーたちを載せた車がずっと西の方にあるポイントを目指しクラクションを鳴らして行き過ぎていく。

 散歩から帰って手と足を洗い、風呂から出ると日の傾いた二階に夕食の用意ができている。さすがに刺身の種類は多いが、味のほうは東京で口にするものと大差ない。かえって小芋や川で獲れた小蟹を辛く煮しめたようなものが旨かったりする。

 食事のあと、ビールの酔いで少し重くなった頭をかかえて蚊帳を吊り、寝床に就く前の数時間を机に向かってすごす。海で拾った貝殻や石を机の上に並べて、ずっと以前に金水にもらった手紙の返事を書こうとするが、思いは障子越しに人影を見るようにたよりなく、掌から掌へ砂を手渡す遊びのように言葉は空しくこぼれ落ちていく。

 ここへ来て五日目の晩のこと、海で見た映画好きの金水へ書いて送ろうと思う。それを見たのはすでに一昨日のことだが、海で映画を見るのはとても珍しい経験だし、そのあとに起こった妙な事件も含めて、報告せずにはいられないような出来事だった。

 この民宿の建っている土地は、海岸に向かって登り勾配になってろり、海岸道路から再び下りになって波打ち際まで砂浜が続いている。すなわちこの建物は海と山にはさまれた浅い窪地にあるため、ここの窓からは浜に遮られて海を見ることはできない。海を見るには、家の屋根にのぼらなくてはならないのだ。

 ここらへんの民宿はどこでもそうなのだが、この家もベニヤとアルミサッシとで組み立てたような軽便な安普請である。きっと竣工したての時には、新木の香よりも接着剤の匂いが強くしたろう。そもそもこの地方は台風の進入路に当たっているはずだが、こんな建物では強い風雨にはとうてい耐えられまい。経営者は、民宿の建物など一年もてばよいとでも考えているのだろうか。

 お定まり通り、陽に焼けた畳の表面は砂でざらついている。

 人けのない浜の散歩から帰って井戸で足を洗っていたとき、久実がかたわらの草叢を指差してシャツの袖を強く引いた。(そうそう、ここには久実を連れてきていたのだが。)彼女がここへ来た当日に、畳の上に長くのびたヤマカガシを見つけて袖を引いたことを思い出し、また蛇を見つけたのかと思ったが、今度はムカデであった。

 民宿の軒下の、ふだんは日陰になってン見えない地面にムカデの穴があり、一匹の長居やつが油の流れるようにその中へ吸い込まれていくところだった。

 すでに穴の中に半ば這いこんでいたので、正確な体長はわからないが、見つけたとき外に出ていた長さが五〇センチぐらい、それが穴の中にすっかり消えるまでものの一、二秒もかからなかったように思える。

 近寄って穴の周辺を調べてみると、民宿の建物が乗っているこの地面は、浜辺のそれとほとんど変わらぬサラサラした砂地であることに気づいた。建物の土台のみコンクリートを打ち、庭木や植え込みの部分だけに土をいれて、文字通り砂の上に建てられた家というわけだ。おそらくこのあたりの家はどこもそうなのだろう。


      2005年4月4日号掲載