○鈴木武史さんを紹介して貰ったのは、星に名前を付ける仕組みを販売する「ステラレジストリー」の鈴木康友さんであった。鈴木康友さんは松下政経塾の一期生で、武史さんは政経塾を見学に来て知り合ったそうだ。

○小拙は鈴木康友さんと仕事をしていたが、その元はと言えば奥村勝之さんを経由して志村さんという人を通じてであった。鈴木康友さんは現在民主党の衆議院議員をやっている。

○康友さんから紹介して貰った英国・ウエールズの骨董品を受け入れる際に国際法や契約に詳しい弁護士が居る、として紹介して貰ったのが武史さんであった。

○その時にはもう中公新書で『星亨』は出ていたが、その後同じ中公新書でもう一冊上梓された。

○それからは小拙が上京する度に三人で食べ歩きをした。武史さんはほとんど飲まないのであるが、いわゆる食通であった。話題は格闘技、F1、そして軍事。日本は何故戦闘機「富獄」を飛ばせなかったのか等々、話題はかなり深みに入っていた。

○その後しばらく武史さんと会っていなかった夏、康友さんから架電があって、武史さんが急逝した、という。朝出かける時に玄関で倒れてもう息が無かったそうだ。確か46歳であった。葬儀のミサは四谷の聖イグナチオ教会で行われた。あの日も暑い日であった。

○小拙は翌年より「レディバードデイ」という鈴木武史先生を偲ぶ会を開催した。武史先生と親しかった弁護士、クライアント、友人、令夫人が集まって毎年同じ思い出を語っていた。

○武史先生がいなくなって5年ほどした時に預かったのが「神の剣」である。武史先生の書斎から発見されたが、原稿のみが存在し、フロッピーなどは見つかっていない。

○鈴木武史さんは中公新書の二冊に続き、本当はエンターテイメントを上梓したかったのではないか、と思うのである。「電藝」に連載をさせていただくことによって鈴木武史という人の念が少しでも晴れるのではないか、と思っている。