text/吉田直平

 

p r o f i l e

 ママやパパだって、それはやっぱりほかの大人とおなじで、自分たちがいつも本当のことだけを言っているわけじゃないし、それどころか、うそをついているほうが多いということに、ぼくが気づいているってわかってるんじゃないかな。コーチがどうしてあんなことになっちゃたのかってことを、本当はみんなうすうす勘づいていて、だから誰も新しいコーチが来ないことに文句を言わないんだって、ちゃーんとわかっているんだ。「顔面パンチ事件」のことだって、東は、ぼくのまねをしたなんてフザケタことを言ったらしい。いつもぼくら、つまり、同じ一年生ではなく、四年生たちとばかり遊んでいるから乱暴になったのだ、とママは嘆いているけど、東がいつもの調子でいいわけしているのを、知っているくせに気がつかないふりをしているんだ。

 その「事件」が起きたとき、もちろんぼくはその場にいて、といっても、ぼくが歩いていたところから30メートルぐらい離れていたから、テレビの中のできごとのようにしか(「アンビリーバボー」の再現ドラマのような!)見えなかった。 雨の日で、ぼくは、例によって安田と「ムジュラの仮面」のことをしゃべりながら歩いていて、一方で、ひどく腹がへっていて、帰ったらまず――南が食べてしまわなかったら――お菓子のかごに残っているはずのスナックパンを食べようと考えながら、傘の柄をぐるぐると振り回していた。

 土手の近くにさしかかったとき、かなり前の方を東が、クラスの友達と歩いているのが見えた。ぼくたちと同じマンションに住んでいる、東より20センチぐらい大きい子だ。

 二人は何か言い合いをしているみたいだったが、そのうち、大きい子が東のことを突き飛ばした。たいして強い力ではなかったけど、東は帽子を地面に飛ばし、前のめりにころんだ。

 そんな光景を、ぼくはあまり気にもとめずに眺めていた。起きあがった東がいきなり手を振り上げて、大きな子の顔の真ん中にこぶしを差し出したときにも、べつに驚かなかった。ところが、次の瞬間、その子の鼻からパーッと血しぶきが飛び散ったので(おおげさかな?)、すごくびっくりした。

 ……動転したママはパパの会社に電話して、鼻血の子(魚住という名だった)の家に菓子折を持っていくべきかどうかを相談した。「怒ってるのかね?」と、パパはおそるおそる聞き返した。「まあ何か持っていったほうがいいだろうな」

 あとで聞いたことだが、パパはそのとき、ちょっと誇らしい気分になったそうだ。うちのパパはすごい皮肉屋で、いつもぼくたちをからかってばかりいるけど、じつは子供の頃はいじめっ子というにはほど遠く、男ばかりの兄弟の父親として、息子のはたらいた乱暴のせいで他人の家に詫びに行くようなことをはじめから――ぼくが生まれた10年前から!――夢みていたらしい。そんなことって、「ドラえもん」なんかには出てくるけど、現実には、聞いたこともないことなのにね。

 誇らしいといえば、東を賞賛する気分におそわれたのはパパだけじゃなくて、じつはこの「事件」はたくさんのお母さんが目撃していて、そのうち何人かは、あとでわざわざママに電話してきて、「真ん中の子、ツヨイのねー」と感心していたそうだ。けっきょく、乱暴なのは、悪いことなのか、いいことなのか。もちろん、そう訊けば、誰だって「悪いこと」と答えるだろうけど。