7.


 形はおそろしい。ごく最近テレビで、市松人形の制作現場のドキュメントを見た。やはり、おそろしかった。なにより義眼が嵌め込まれたその瞬間から、怖くなった。だが、正確にはその怖さは一度姿を消す。義眼が嵌め込まれた顔型は、眼の周りに膨らみを持たせるために、義眼の上からたっぷりと胡粉が塗り込まれるからだ。それから「目を切る」という作業に入る。胡粉が乾いたところで、あらためて義眼の上に覆われた胡粉を削り取っていくのだ。現在では顔型本体はすべて型によって作られる市松人形において、この、繊細な手作業の「目切り」の工程こそが、人形の良し悪しを決定的に左右するという。職人の手慣れた指先の動きによって、少しずつ再び義眼が姿を現し、人形の目に命が吹き込まれていく。徐々に瞳に輝きが増していく。ヌラヌラとした光を湛え始める。ああ、怖い。どんどん怖くなってくる。さらに決定打は、さらさらとした頭髪がねちねち粘った膠によって頭部に接着された瞬間だ。未だにその髪は人毛が使われているという。職人は固定された頭髪に静かに鋏を入れ、そして心魂込めて丁寧に幾度となくその髪に櫛を入れていく。次第に黒髪に艶が増していく。いよいよ、いよいよ怖くなってくる……。だが、この怖さは、畏怖としての怖さだ。すなわちそこには、「愛」と「エロス」が従属しているとも言える。

 一体、人形と彫像、塑像との違いはなにか? 私はそれを、「可変性の有無」に見る。ここで言う可変性とは、実際に手足だったり目蓋だったり眼球だったり口だったりあるいは性器だったり、とにかく身体の一部が動く可能性を持っていることを指す。しかし、その「動き」には、微かな光の反射を受けた義眼がヌラリと光ること、あるいは微風を受けた頭髪がわずかに震えることも含まれている。したがってこの私の独断的なカテゴライズに従えば、ハンス・ベルメールの球体人形は明らかに人形だし、ジョージ・シーガルの石膏像やジャコメッティの塑像は明らかに人形とは言えない。これは比較的穏当な解釈だろう。同様に舟越保武の作品も人形ではないが、しかし、一般 に彫刻と見なされる息子・舟越桂の作品は、義眼が嵌め込まれている分だけ、私には時として人形的である。ヌラッとした瞳がジロリと動いて、いつしか私を睨み返しそうだ。

 そうしたわけでこの一文では、人形の起源を遡った際に浮び上がる呪術的、宗教的人型などは語る対象外とする。そのように広義の意味で捉えれば、埴輪も兵馬傭もオシラサマも含まれるが、ここではそれらは「可変性の欠落」という一事を持って、敢えて対象とはしない。ならば全身陶製の博多人形はどうだ、こけしはどうだ、と突っ込まれればキリがないが、とにかくここでは、「可変性」を問題にしたいのだ。

 こんな風に無理勝手なカテゴライズをして、だからなんだと言われそうだが、私には、私にとってのこの人形が人形であることの条件、「いつしか動くかもしれない」という可変性を内蔵しているということは、私が人形と対峙した時にいつも感じるある種の精神の不穏な揺らぎに重要な関わりを持っているように思うのだ。

 四谷シモンは「自分は人形に生きた感じを求めない、むしろ『永遠の死』を表現したいのだ」と、しきりに発言してきた。だがそれは、正しくは「死の瞬間」だろう。なぜなら肉体の死は、現象であるからだ。わが国中世の「九相図」が克明に描いたように、肉体は死後、腐敗し変容していく。そして最後は白骨だけが残る。いわば人間の身体は白骨と化した時、ようやく永遠の死に至ったと言えるのだ。その意味では、四谷シモンの少年少女たちの削ぎ取られた皮膚の下に露わとなった木枠は、それを暗示するものと言えなくもない。だが、未だ残された皮膚、なによりもすべてのシモン・ドールに存在する艶々しい頭部がある限り、それは永遠の死に至っているとは言い難いのだ。むしろ、それらの皮膚を痛々しく欠損した少年少女らは、死の入口に立って凍りついている、と見るべきだろう。しかるが故に、シモンが同じく固執する「痙攣的美」が、ひとつの「兆し」として、そこに存在するのだ。

 「死の入口」は、生と死の汀である。「生と死の汀」とは、オルガスムスの頂点とも言える。「死を顕わす」ことを志向する作者の意図によってつくられたシモン・ドールがかくもエロティックなる由縁が、そこにある。

 ところで、そのシモン・ドールのエロスは、なにがしかの「しな」をつくって観る者に媚びている時よりも、まるで理科室の人体模型のように、背部を支柱によって支えられ、いわば役者の「素立ち」のような状態でスッと佇立している場合の方が、より一層深く醸し出される。より一層、シモン的である。なぜか。それは、零度の肢体に限りなく近いからこそ、逆に「可変性」の緊張の密度が高じるからではないか。

 似たような理由で、全身を皮膚で覆われた初期の作品よりも、身体の皮膚の一部を欠損させた80年代以降の作品に、一段と「生」を感じる。なぜか。それは、むき出しになった木枠の骨格やその中に覗く金属の機械仕掛けが、一段とそれを覆う恍惚とした表層を際立たせるからだ。しかし、だからといってシモン・ドールは、「生」を遠心的に発散させるわけではない。同時にその際立つ「生」は、無機的な木枠と内部の金属によって暗示される「死」を際立たせもするのだ。

 つまり、生と死の汀に立つシモンの人形たちは、「生」への「誘い」と「裏切り」、そして「死」への「誘い」と「裏切り」という二重の両義性を孕むことで強烈な性を発酵し、観る者、私たちをしたたかに惑わせるのである。

 

 それにしても、そのような危険な少年少女たちの惑わし、拐かしの企みにあって、いかにも自在に回転しそうな球体関節を持ち、いかにも緻密に設計された風を装う機械仕掛けの内部(実際には、機械仕掛けの人形たちの中で本当に動くのは一体だけだという)を露わにしていることは、なんとも心憎いばかりの作為と言わざるを得ない。特に胴体の中の複雑な機械(それは時計の内部を思わせる)から四肢の末端まで繋がるワイヤーやバネの仄めかし。どこかに存在する目立たないボタンをちょっと押した途端に、いまにもカチッコチッと時計の音を立てながら、カックンカックンと首が回転を始め、ギギギッビーン、ギギギッビーンと手足を振り振り踊りだしそうな気配。だがそれは気配だけで、決して彼ら彼女らは動くことはないのだ。と思いつつも、でももし動いたら、もし次の瞬間、なにかの弾みでカクンッと首が45度横に倒れたら、一体どれほどおそろしだろう、とそう思うと、観る者の精神が痺れ始めるのだ。

 これらの人形たちと対峙しつつ、実際に生と死の汀に立たされ、そして凍結するエロスの中に閉ざされるのは、観る者たち自身であることを、その時知るのである。その観者の姿をヌラリと光る義眼の奥で捕らえながら、少年少女たちはいよいよ目を細め、口元に湛えた微笑をいや増すのだ。対峙する観者以外誰も気付かぬ 幽かさで。

 ちなみに、ほんのひとつだけ秘密を明かそう。たった一体だけであるが、私は本当に動いたのを観たのである。それは最後の展示室に飾られた、もっとも新しい今年制作の「木枠で出来た少女 2」という作品だ。その少女の美にもっとも惹かれた私はしばらく凝視を続けていた。するとふと、少女の右肩と右胸の辺りが規則的に数回、わずかに震えるように動くのを観たのである。それを指して、空調の微風が右肩に垂れた金色の髪を震わせたのを錯覚しただけだ、という者がいるとしたら、そんな奴は兵馬俑とともに秦始皇帝陵に埋めてしまおう。

 だまされたと思って、あなたも彼女の前に、そう、ちょうど目の前に長椅子があるからそこに座って、30分間見つめていてご覧。きっと彼女は動くから・・・。いや、あなたが動くのを発見するシモン・ドールは、別 の一体かも知れないけれど。

 最後に、人形師四谷シモンの造形の妙について、球体関節や表皮の欠損などの特徴に加えて、ぜひとも触れておきたい点がある。

 それは、彼がつくる手の指先の優美さである。素っ気なくさえ見える類型的な胴体や腕や脚に比べて、シモンは顔の表情とともに手の指先の表情に、常に異常なほどの繊細な神経を払っているように思える。

 それは、タンゴの楽師であった父とダンサーであった母の、双方の優美な指先の遺伝子を継ぐ先天的な才覚のなせる技なのだろうか。いずれにせよ、その優美な指先は、おそらく、もはや二度と見ることのできない(過去の映像フィルムさえ見つからないという)かつての状況劇場時代の若き女優四谷シモンの妖艶な動きにも、きっと発見できたに違いないのだ。

「四谷シモン 人形愛」展

大分市美術館=2000年6月3日〜7月16日
小田急美術館=2000年8月23日〜9月10日
宮城美術館=2000年11月3日〜12月17日
徳島県立近代美術館=2001年1月20日〜3月11日
芸術の森美術館=2001年4月1日〜5月27日