
勅使河原茜を中心とする
現会員大作展示スペース
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前回の予告通
り、草月いけばな展に足を運んだ。年に一度、この時期に日本橋・新宿両高島屋で同時開催される草月流にとってはいわば一年納めの展覧会である。ましてや今年は、勅使河原蒼風生誕百年を記念して、日本橋会場に蒼風の作品の復元が特別
展示される。「時分の花」を宿命づけられたいけばなにあって蒼風の作品を今再びこの目で見ることができるのは誠に貴重な体験に違いないので、これを見逃す手はない。ということで、(その気張った言葉と矛盾するが)最終日ギリギリに急ぎ日本橋へと向かった。
まずはその、女性の生気に満ち満ちた会場風景の一端を紹介しておこう。
ご覧の通
り、女性ばかりである。しかしよく見ると年齢層は意外(というと失礼かも知れないが)なほど幅広い。このことが、草月流がいけばなの流派として今なお「生きている」ことのなによりの証拠と言えるのだろうか。
それに第一、展覧会場に女性の姿が目立つのは、きょうびなにも、いけばなばかりではない。よほど話題の人気展ならともかく、今日平均的な展覧会場の平日の閑散たる会場の中に入れば、いずれそこにいる鑑賞者の大半が女性であることにはかわりがない。
さてそれでは、本展に赴いた第一の目的であるところの蒼風復元作品の印象記から述べてゆきたい。
現会員の展示スペースから離れたその特別
室には、《望古譜》(1950年)、《黙》(1950年)、《虚像》(1951年)、《THE
ABYSS》(1951年)、《オリエント》(1951年)、《黒い木》(1951年)、《マッスと竹》(1959年)、《大地の歌》(1959年)―年記はいずれも初出―の、蒼風のもっとも脂の乗っていた活動期に当る概ね50年代の大作8点が展示されていた。

勅使河原蒼風 《虚像》 原作:1951年
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《虚像》を
仰ぎ見る観客
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それらの蒼風作品を初見した印象は、なによりもその巨大さへの驚きだった。なかでも代表作の一つ、《虚像》などは、それを図版でしか見ていなかった私は全くもって誤解していたと告白せざるを得ない。まさかこんなに馬鹿でかい作品だとは・・・。と、こう書くと、なんだか私は先週からこの展評でずっと自らの勘違いを懺悔してばかりいるようだが、その展示室に入って最初に目に入るこの作品のサイズの意外さには、はっきり言って面
食らったのである。その大きさは、次の写真を見ていただければお分かりだろう。
このブロッコリーのお化けのような作品ばかりでなく、展示された中で私がこれまで図版で目にしたことのある作品のことごとくが、予想を上回るサイズなのだった。しかし、である・・・今回の復元は蒼風の生前を知る会員幹部たちによって制作されたものである。そしてまた、いけばなが生きた植物を素材とする以上、当時と全く同じものを使うことはできない。果
たしてほんとうに蒼風が当時自ら作った作品に、今回の出品作がどこまで近似しているだろうか、との疑問が生じないこともない。そこで展観後に作品集をあらためて捲って今回の作品と比較してみると、たとえば《虚像》については、手許の作品集では170×180×150cm(ただし1966年と年表記がある)となっている。ここに掲載した写
真から見ても、本展出品の《虚像》はどうみても平均的な大人二人分ほどの高さはある。つまり、少なく見積もっても3mは超えるだろう。また、大きさばかりでなくその形態も、今回の展示作と蒼風原作ではかなり異なっている点が目につくのだ。繰り返しになるが、生きた植物を素材とする以上それはある程度やむなき事柄ではあろう。しかし大きさの極端な相違は、必ずしもそれに当てはまらない。そこに創始者蒼風への神格化の意図がたくまれていると指摘されても、言い訳はできまい。
誠にこれら巨大な蒼風いけばなの群に囲まれていると、その特別
室の前後の展示空間があまりにも女性的感性の百花繚乱世界であるだけに、その巨大さと併せて造形のシンプルさにもよる豪放な男性的力感に、いわば「男根の屹立群像」というイメージを抱かされるのだった。「虚像」を仰ぎ見る女性たちの姿ときたらまるで・・・。
とにかく、この特別
室を取り囲む女性たちの巣とこの「王」の居室たる空間との連関する構造それ自体に、通
常の草月いけばな展の度をはるかに越えた「性的なるもの」の発露を感じずにはおれないのであった。

勅使河原蒼風 《大地の歌》 原作1962年
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と同時に、そうした男女の構造が、戦後復興期から高度経済成長期へと突き進んでいたこの国の戦後のある時期に共通
する「戦後生命主義」とでも称すべき文化的土壌をも想起させずにはおかない。だがそれは、今日の目から見れば、やはり懐かしくも遠い20世紀的ニッポンなのである。
蒼風のいけばなを実見したうえで特記すべきことは、しかしこのことばかりではない。それはつまり前回書いたことの確認である。すなわち、書の線といけばなの樹木の形態の類似性であり、私はそれについて今回確信を持つに至った。論より証拠、次の写
真を見てもらえば誰しも一目瞭然だろう。
まさしく、蒼風の書の線とは、樹木が自然によってあらかじめ与えられた形態と、合致しているのであった。

勅使河原茜出品作
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さて、本展の蒼風以外の作品はどのようなものであっただろうか。
蒼風の作品とはまさしく対称的に、女性性をどれよりも放埓に発散させていた作品は、いうまでもなく「女王」勅使河原茜の出品作である。
そして、その作品を頂点として、あるいはその作品を台座に乗せて、周辺を取り囲む会員幹部たちの作品の大半は、やはり自らの女性性の中なり小なりの競演、といった感が免れない。ほとんどの作品がなにがしか創始者蒼風の形態の影響を直截的に受けている。とくに、各種の枯れ材を使った「乾きモノ系」の作品にはその傾向が顕著に見られる。おそらくあれらの材料(倒木、流木、枯れハス、竹、ススキ、葦)を使うと、なんとなく「それらしく」収まってしまうのではないだろうか。
そうした中で、これとは対称的に、いけばなという立体と絵画という平面
との境界に花咲くような作品3点が、私には強く印象に残った。

渡辺紅昌出品作 |

内田露佳出品作
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それらはいずれも、まるで絵画のように四角い平面
を基礎として成り立っているのだが、まずはそのうちの渡辺紅昌の作品から写
真を示そう。
浅い矩形の中に薄く注がれた水に浸されて、ぎっしりと敷き詰められた黒い小石と真紅の薔薇の花びら。鉱物(死)と植物(生)とがせめぎ合い聞いたこともない不思議な微音を立てていそうなこの世界は、草月流というよりも中川幸夫の感性の系譜に繋がるものである様に思われてならない。予想外にこの作品の前には、多くの鑑賞者たちが常に群がっていた。
一方、内田露佳の作品は、さらにいけばなの領域から限りなく開かれているもののように思われた。
この、額縁のような木枠の中の底面
に貼られた和紙に無数に刺された棘持つ小枝の集積回路を目にした時、最初に思い浮かんだのは草間彌生の顔だった。次に思い出したのが、中西夏之の《洗濯バサミは攪拌行動を起す》だった。いずれにせよ、痛そうな作品である。立つ位
置をわずかに変える度に、白い和紙に映る無数の棘たちの小さな影が形を変え、それが観る者に繊細にして隠微な動感を与える。痛みの質が変化するのだ。この作品には、若い女性たちが多くカメラのシャッターを切っていた。

中川彩萠出品作
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しかし、上記2点の作品を遥かに優って、強いインパクトを与えられたのは、中川彩
萠の次の作品だった。
この黒々とした陶板(?)の上に点在する水の溜まりが現前化させる表面
張力は、見る者誰しもの意識を瞬時の内に緊張させずには置かない。それに対するマリモのような青苔の涼しげな存在とのコントラストの妙によって成り立つ極めてシンプルな容姿は、この作品の周囲に林立する作品群に厚化粧を競う態のものが目立つだけに、内部から放たれる美を一段と際立たせていた。いってみればこの作品は、形態からいえばもっとも有り態のいけばなの姿からは遠いものの、いけばなの美の根源に孕む「はかなさ」の強味を、本展の中でもっともよく現前化していたともいえるかも知れない。
それにしても、こうした作品が、流派の典型のような作品群に混ざってさりげなく展示されているところが、草月流いけばなの懐の深さとみることもできるのだろう。
――――ところで、こんなに辺り構わずバシャバシャと写
真の撮れる展覧の機会は、そうあるものではない。ついつい、いい気になって土門拳を気取ってシャッターを押す愉悦に耽っていたら、うっかり新宿会場へ足を運ぶ時間を失っしてしまった・・・。
「勅使河原蒼風生誕百年記念 第82回草月いけばな展」
2000年11月9日〜14日/日本橋高島屋・新宿高島屋
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