text/吉田直平
p r o f i l e


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回は、しかしDVDではないのだ。押入れを整理するうち(なんだか年がら年じゅう整理してるようだが)、昔買ったセルビデオが出てきて、思わず見返して、やはり興奮しまったのである。

相米慎二監督の「ションベンライダー」をはじめて見たのは京橋の試写会で、券が2枚あるからと誘ってくれた友人は、帰りに八重洲に向かって歩きながら、「悪かったね、変な映画で」とすまなそうに言ったのだが、こちらはそれどころではなかった。感動のあまり言葉が出なかったのである。たしか、ほどなくして出た詩誌「麒麟」に、有楽町でこの映画を見たあと家まで走って帰りたくなったと松浦寿輝が書いていた。そういう映画なのだ。

相米監督の映画についてよく人が話すのを聞いていたのは、たしか大学に入った時分だったと思う。たとえば「翔んだカップル」の建売住宅の間取り描写のこととか、「ラブホテル」での山口百恵の曲の使い方とか。「セーラー服と機関銃」「魚影の群れ」「雪の断章〜情熱〜」といった映画は名画座で実によくかかっていて、いささか飽きるほど見返すことになったが、「ションベンライダー」はなぜかプログラムに入っていることが少なく、結局スクリーンでは試写会の一度しか見ていない。今でも、よほど品揃えの良い店に行かなければレンタル版もないのではないか。

よく言われるように相米作品にはおもいきった長回しが使われ、この映画もまた、いきなり人をくった長回しから始まるのだが、しかしキャメラも照明もさして計算されている印象はない。路地から塀ごしに中学校のプールへ、さらに盆踊り会場となっている校庭へ、そしてプール横の校門へと戻り、少年誘拐を荒唐無稽に映す長いつらなり(水着で泳いでいた中学生たちはいつのまにか服を着ている)において、画面はぐらつくし(クレーンなど使ってないのではないか)、夏休みの描写とはいえ日なたと日蔭の明度差は激しすぎるし、プールサイドの主人公たちに当てた反射光はしろうと目にも不自然だ。それでも、音と台詞で強引につなげ、主要な人物のポジションを運動として一気に見せてしまう手際はちょっと比類のない鮮やかである(映画が始まるや、真っ赤なスーツの木ノ元亮が「イッチ、ニー、サン、シー…」と準備運動をしているのが、なにより運動の始まりを告げているではないか)。「雪の断章〜情熱〜」もとんでもない長回しで始まるのだが、そちらはセット撮影で(この映画の雪は全部セットなのだ)、照明やキャメラはキレイに計算されていたように思う。「ションベンライダー」の有名な長回しは中盤の貯木場のシーンで、キャメラは船に乗ってまっすぐ移動しているだけなのだが、画面の中を右往左往する7人の人物の動きがやはりすばらしい。子供たちとアラレはいったい何回ずつ水に落ちているのか。どこかで読んだ話では、木ノ元亮は泳げないそうだ(笑)。

なぜ「ションベンライダー」という題名が選択されるのか、いまもって皆目わからないのだが、荒唐無稽そのものの粗筋は、こんな感じだ――暴力団「極龍会」にからんで覚醒剤を横流ししていた薬局店主の息子デブナガ(鈴木吉和)が、組を離反したチンピラ(桑名将大・木ノ元亮)に誘拐された。デブナガにいじめられていたブルース(河合美智子)、ジョジョ(永瀬正敏)、ジショ(坂上忍)の三人組は、「デブナガに仕返しをするために」チンピラたちを追って極龍会事務所がある横浜へ。伊武雅刀の交番巡査の口利きで知り合ったやくざゴンベイ(藤竜也)もチンピラたちの行方を探していると知り、三人は藤竜也につきまとう。熱海で研修中の担任教師アラレ(原日出子)を巻き込んで、ついに名古屋に潜伏中のチンピラたちを発見するも、逃した上にアラレまで連れ去られてしまう。ふたたび戻った横浜でアジトを突きとめ、三人はチンピラたちに最後の対決を挑むのだが…。

というように、物語の舞台は横浜、熱海、名古屋、大阪と、相米映画にしてはめまぐるしく変わり、それに応じて乗り物もたくさん出てくる。河合美智子を除いて、主役3人の中学生にキャメラが寄ることはなく、顔もよく見えないので、観客は主に服で見分けるしかないのだが、クライマックスを前に、中学生たちはなぜか散髪をし、服を交換してしまう。このアイディアはすごいと思う。まさに運動のみを見よという感じなのだ。

この小文の最初に述べた友人が「変な映画」と弁解(?)したのは、おそらく、映画の最後で、中学生たちが「ギンギラギンにさりげなく」をフリつきでワンコーラス以上歌ってしまったりするからだろう。中盤にも、三味線の伴奏で「ふられてBANZAI」を踊るシーンがあるのだが(そう、この映画は歌ったり踊ったりが多いのだ)、いずれも感動的な心理描写のシーンであり、下手とわかっている演技をあらかじめ排除してしまう演出は、「子供の映画」ばかり撮った相米監督ならではであると思う。

その後の「台風クラブ」「光る女」から「風花」にいたる映画を見返すにつけ、どれも最初から順にシーン解説(?)していきたくなってしまうのだが、「あ、春」(この映画には斉藤由貴と河合美智子が再登場している)をはじめ、いくつかの映画だけを見る機会をずるずると引き延ばしている心のはたらきは、早世と言えるこの監督が描いた運動の中に、いつまでも身をとどまらせていたいという願いにほかならない。

2005年2月21日号掲載