児童文学や絵本文学に通暁しているわけでもないし、ましてコレクターなどではさらさらない。自らの指でページをめくっていた時分から、子供に読んでやるためというまことに実用的な目的で絵本買うまでの20年ほどの間、絵本にふれたことはなかった。書店の洋書コーナーなどで、自分の子供がいるわけでもなかろう若い女性たちが洋書の絵本を物色している姿を見かけるにつけ、お気に入りの絵本がささやかな本棚に何冊かおさめられているのだろう彼女たちの部屋を想像して、ますます敬遠したくなった。それでも子供たちと絵本を眺める数年間を過ごしたわけだが、彼らが絵本を卒業した今、絵本の世界はふたたび自分から遠ざかりつつある。絵本的なるものへの哀惜の念に支えられながらも、この小文は、まず絵本について書くことのささやかな諦念から始められねばならない。

 絵本の世界とは、動物たちやお化けや奇妙な大人が跋扈する理屈の通 らない夢の世界、つまり自然といえるものであり、まさに脳の産物であるところのヴィデオゲームやTVアニメの経験も浅く、自然に近い野蛮な存在である就学前の子供にとっては、大人よりも親しみやすいものである。

 開かれた絵本のページから、子供が受けるであろう < 感動 > を大人が得ることは難しい。それは、自分がなぜあれほどかたくなにサンタクロースの存在を信じえたのかを思い出せないのと同じで、いくら <純真な心で> 眺めようと、子供が受けるであろう <感動> の一部をぼんやりと想像することしかできないのではないか。子供にとってのそれは、 <感動> というよりも、むしろ絵や言葉の細部からなる <世界の奇妙な手ごたえ> であるはずだ。頼りない <手ごたえ> の積み重ねに過ぎなかった世界の甘美さを経験的に知っているだけの大人が絵本を読むことは、すでに閉じてしまった遠い夢の通 路をあてどなくさまようことにほかならない。

 どこか説教くさい「100万回生きたねこ」(佐野洋子 作・絵、講談社)を子供に読んでやりながら思わず自分が涙してしまう大人たちはたくさんいるらしいのだが、そんな親の姿を介することなしに、子供たちが絵本そのものから同じ <感動> を受けとっているとは考えにくい。

 絵本の本来的な読者である子供は、大人が身につまされて涙に声をつまらせる後半部分の野原の絵よりも、欧州らしい戦場で陣地に将几に腰をおろした王様、貴族的なパラソルをさした貴婦人が散歩する異国の港、心躍る薄暗いサーカスの魔術といった馴染みぶかい(おとぎ話的な)舞台で繰り返される死のイメージ、それは再生と対になっているのだが、そちらにより強い印象を受ける。たとえば、「とんできた やに あたって」死んでしまうことのあっけなさ。「びしょぬ れになって、しんでいました。」と描写される死んだ猫の毛皮の質感。あるいは「まっぷたつに なって」死ぬという観念性。「おぶいひもが 首に まきついて、しんでしま」うことの身体論的なくるしさ。

 しかし、この本のもっとも <感動的な> 場面(大人と子供の両者にとって)は、おそらく最終ページ、「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」という短い文が添えられた、オオイヌタデが風に揺れる秋の湿った草原の風景だろう。大人にとっては、「ねこ」が号泣している前ページから必然的に高まる感情に <感動> の形を与えるページとして、子供にとっては、物語の不本意で唐突な終わりのページとして。この本が絵本としてはかなりのベストセラーとなった理由は、おそらく、この最終ページの <感動> が大人と子供で一致したことにある。シニカルにいえば、子供はなぜ「ねこ」が再生しないのかわからず、大人はそれを語りたくてしかたがない、というわけだが、それにしても、この本で唯一「ねこ」のいないこのページは美しいと思う。そして、なぜ「ねこ」がいないのか、という問いを口にしないことこそ、夢の通 路をさまよいつづけるためのルールなのだ。

 

 

【佐野洋子】1938年6月28日、北京に生まれる。武蔵野美術大学デザイン学科卒業後、1967年から1年間、ベルリン造形大学でリトグラフを学ぶ。帰国後、デザイン、イラストレーションを手がけながら絵本を描く。『おじさんのかさ』でサンケイ児童出版文化賞推薦、『わたしが妹だったとき』で新美南吉文学賞、『わたしのぼうし』で講談社出版文化賞絵本賞を受ける。他に『100 万回生きたねこ』『だってだってのおばあさん』『おれはねこだぜ』、エッセイ集『私の猫たち許してほしい』『アカシア・からたち・麦畑』『ふつうがえらい』等。

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