ンガ家にも(世の中のエンターティンメントにならい)ピークがある。「消えたマンガ家」という本が何冊も出ていることから分かるように、プロのマンガ家ならば、誰もが面白いマンガをコンスタントに描き続けられるということは決してない。ピークを保ちつづけるために必要なものは(世の中の多くの成功がそうであるように)才能と努力なのだろう。
しかし、ただ、面白いマンガというのならば、こう言っては何だけれど才能に寄るところが大きいのではないかという気がする。浦沢直樹がインタビューで「いろんな人間が命を吹き込み、予想以上に物語が膨らんだ。まるで化学反応のようだった」と、自作『MONSTER』について語っている。そういうのって、ストーリーテラーとしての才能、としか言えない。そういう広い年代に受け入れられていくマンガは、単純に物語としての面
白さを保てばよい。
が、いくえみ綾が描いているマンガ、掲載している雑誌は、あらゆる漫画誌の中で最も同時代性を尊重し、あんまり自分が蓄積したものを描くと「難しくて分かんない」と放りだしてしまいそうな、女子中高生が読む少女マンガであり、別冊マーガレットである。驚かされるのはもうかれこれ17年いくえみ綾を読んできているわけだが、いつ読んでも、絵柄に「最近のマンガ」感がある。これには本当に感心する。大家と呼ばれるマンガ家は、それがそのマンガ家の特徴であり、作風である絵柄を変えていくというのは難しいことなので、15年前から同じ印象しか受けない絵で描き続けるという作家も、それは多くいる。そういうマンガ家はよほど話が面白くないと読んでいられない。絵に古くささを感じ、話もつまらないマンガをなぜ読むだろう?日々、新しいマンガ家がデビューしているというのに。才能によって面
白い話ではなくなってしまったマンガは、絵柄にも飽きてしまうと読まなくなってしまう、ということだ。
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