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text/ 高梨 晶
 
当はいくえみ綾は個人じゃなくて、このマンガショートストップを書いている我々のように同じペンネームを使って複数人が描いているんじゃないか。そんなことを最新作『私がいてもいなくても』を読んで思った。この場合、同時に複数人が描いているのではなく、常に、一人の10代後半から20歳代前半の「いくえみ綾」が、いくえみ綾のペンネームで、数年のサイクルで代替わりしつつ別 マに描いてるんじゃないか?初代いくえみ綾は1980年代前半から後半まで、2代目はその跡を継ぎ、そしてまた3代目いくえみ綾が21世紀に入り新連載を始めたと……んなわけないか。いくえみ綾は、20年前から同じ一人の人が描き続けているんですよね?そうだとしたら(そうなんだろうが)すごいマンガ家だ。
  いくえみ 綾
『私がいてもいなくても 1』
2001年集英社刊
(マーガレットコミックス)
390円税別
 
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   絵  い  い  か    
   柄  つ  く  れ    
   に  読  え  こ    
    ┐ ん  み  れ    
   最  で  綾  17    
   近  も  を  年    
   の     読       
   マ     ん       
   ン     で       
   ガ     き       
  └      て       
   感     い       
   が     る       
   あ     わ       
   る     け       
    ゜    だ       
         が       

ンガ家にも(世の中のエンターティンメントにならい)ピークがある。「消えたマンガ家」という本が何冊も出ていることから分かるように、プロのマンガ家ならば、誰もが面白いマンガをコンスタントに描き続けられるということは決してない。ピークを保ちつづけるために必要なものは(世の中の多くの成功がそうであるように)才能と努力なのだろう。

 しかし、ただ、面白いマンガというのならば、こう言っては何だけれど才能に寄るところが大きいのではないかという気がする。浦沢直樹がインタビューで「いろんな人間が命を吹き込み、予想以上に物語が膨らんだ。まるで化学反応のようだった」と、自作『MONSTER』について語っている。そういうのって、ストーリーテラーとしての才能、としか言えない。そういう広い年代に受け入れられていくマンガは、単純に物語としての面 白さを保てばよい。

 が、いくえみ綾が描いているマンガ、掲載している雑誌は、あらゆる漫画誌の中で最も同時代性を尊重し、あんまり自分が蓄積したものを描くと「難しくて分かんない」と放りだしてしまいそうな、女子中高生が読む少女マンガであり、別冊マーガレットである。驚かされるのはもうかれこれ17年いくえみ綾を読んできているわけだが、いつ読んでも、絵柄に「最近のマンガ」感がある。これには本当に感心する。大家と呼ばれるマンガ家は、それがそのマンガ家の特徴であり、作風である絵柄を変えていくというのは難しいことなので、15年前から同じ印象しか受けない絵で描き続けるという作家も、それは多くいる。そういうマンガ家はよほど話が面白くないと読んでいられない。絵に古くささを感じ、話もつまらないマンガをなぜ読むだろう?日々、新しいマンガ家がデビューしているというのに。才能によって面 白い話ではなくなってしまったマンガは、絵柄にも飽きてしまうと読まなくなってしまう、ということだ。

くえみ綾は、今の若者の風物を取り入れていくという努力が、たえまない。もしいくえみ綾が15年前から代替わりしていないならば、作品中の人物とは二回り以上の歳の差があるはずだ。しかし登場人物たちはみな今風。服装は当然のこと、言動、携帯の使い方、なんかが、もう「年寄りには分からない」感覚である。そんなもん、20代前半フリーターやら女子高生に取材すりゃいいし、ファッションは雑誌読めばいくらでも今風になるだろう。そう思うならばなぜ、世の中の多くのマンガ家はそうしないのだ?自分の年代に合わせて、掲載誌を変え、主人公の年齢を変えるのか?いくえみ綾が別 マに描き続けるマンガは、物語を作る才能プラス今何が流行っているのかということを意識し描かれなければ、途端に飽きるはずである。時代を取り入れていけるというのがもうすでに才能なのだろうか?

 中学生の頃読んでいたいくえみ綾のマンガの中の高校生は、その月の「オリーブ」に載っていたおしゃれな服を着て、歳の離れた幼なじみとの恋に悩んでいた。学生時代に読んだ話は奥田民夫似の主人公が、女優になった元同級生との恋に悩んでいた。魚喃キリコや南Q太が、ファッション誌や音楽系雑誌のマンガ評で評されていた頃、『バラ色の明日』が連載された。

『私がいてもいなくても』は、マンガ家として成功した同級生のアシスタントをすることになった主人公の自立の物語のようである。どの作品も死や喪失感といった暗い・重いテーマでつづられている。そのテーマには普遍性がある。だからこそ、時代を取り入れなければ、「ピークはあの時だった」と片付けられていただろう。が、いくえみ綾は作品毎に絵がうまくなり、現代の若者が描かれている。もうとっくに、いくえみ綾の年齢を追い越してしまった気がする。 (高梨・H・晶)

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   も  時    
   う  代    
   す  を    
   で  取    
   に  り    
   才  入    
   能  れ    
   な  て    
   の  い    
   だ  け    
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