text/ 高梨 晶
 

らく休載していた当コラムだが、ぼちぼちと再開していこうと思う。

 なお、このコラムは参加型のオープンコラムなので、誰でも参加できることになっている。あなたが自らの愛読マンガについて綴ってみたいと思うなら、高梨晶の姓と名の間にあなたのイニシャルを入れるだけで執筆者の資格を得る。できるなら現代マンガについての膨大なアーカイブを作りたいと思っているのだ。

 さて再開の最初として誰を選ぶか。すでに世に高い評価を得ている井上雄彦の『バガボンド』をもって再開の狼煙としよう。本誌の編集長もこれについて書きたいと言っていたが、仕方ない。早い者勝ちだよお。

 ただし私が井上雄彦について語ることは果たして適任かどうかは自信がない。なぜから、私は彼の別の代表作『スラムダンク』も全巻読み通してはいないし、近作の『リアル』も読んでいないからだ。だからここではあくまで『バガボンド』に限って話を進めたい。他の作品については、誰かが補ってくれれば嬉しい。

バガボンド―原作吉川英治『宮本武蔵』より
モーニングKC 井上雄彦 (著)
講談社

 
        
   感  こ  そ  彼    
   じ  こ  れ  は    
   る  が  と  意    
   変  わ  も  識    
   な  た  無  的    
   感  し  意  に    
   じ  が  識  そ    
   な  作  な  う    
   の  品  の  し    
   だ  を  か  て    
      読     い    
      む     る    
      と     の    
      き     か    
      に               
                 
                 
でに読んでいる方も多いと思うが、これは吉川英治作になる『宮本武蔵』のマンガ化である。ただし、佐々木小次郎に関する部分は井上の創作になる部分が多い。本作においては小次郎は生まれつき耳が聞こえないことになっている。しかも井上はこの部分に多くの巻を割き、力を入れて描いている。ちょっと力が入りすぎていると感じる部分もあるくらいだ。最初この設定は果たしてどうかなあと思っていたが、マンガが進行するにつれてしっくりしてきた。単行本は現在20巻まで。単行本においては、武蔵と小次郎はまだ一度すれ違ったきりだ。この部分も原作にはない。

 実はわたしがこの作品について語りたいことはそのストーリーではない。それはわたしがこの作品を読むときに必ず感じる変な感じについてなのだ。

 このマンガには実に多くの植物が登場する。それはストーリー展開において大きな意味合いを持ってはいない。単なる背景として描かれているのだが、それにしては井上がその背景の植物を描き込む緻密さは尋常ではない。武蔵が槍の胤瞬と対決する場面、その対決は山中でおこなわれるが、二人を囲む木々の葉の描き込みの緻密さ。あるいは、鎖鎌の宍戸梅軒と対決する場面の枯れ草は二人を囲み込み,梅軒の言う「殺し合いの螺旋」を象徴するかのごとく二人を覆い込む。

 

るいは武蔵が柳生の里を訪れる場面で、武蔵が山の木の多さを見て、この国は木々が多いと言う場面。ここにおいて木々の多さは他国から長らく攻められていないことを示すと武蔵は言い、戦国の時代においてそれがいかに希有なことかと言う。

 かくのごとく、井上はどうやら植物に関する執着を至る所に晒し、晒しながら、その意味を全く明らかにはしていない。彼は意識的にそうしているのか。それとも無意識なのか。ここがわたしが作品を読むときに感じる変な感じなのだ。

 ちなみに描き込まれた植物は葉の一枚一枚まで精妙。変な感じと言ったが、それは決して不快感ではない。むしろ彼の画力の高まりをまさしく背景として彩っている。(高梨・T・晶)

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