45 【'00.10.10号】 土井晩翠 |
日本詩人クラブ編による『「日本の詩」100年』という本が今年出た。「日本の詩100年の成果」「日本の詩100年の動向」と題し、多くの書き手がそれぞれのテーマに沿って評論を寄せている。またそれ以外にも、「日本代表詩人名鑑」「代表詩誌選・代表詩集選」などのコーナーがある。ぼくも依頼されて土井晩翠について書いた。本当はぼくが土井晩翠の詩について書くなど全く適任ではないのだが、勉強だと思って書かせていただいた次第。前回横瀬夜雨について書いていてそのことを思い出し今回は土井晩翠を取り上げてみようと思う。
代表詩集『天地有情』についての改題は以下のとおり。一八九九年四月、博文館刊。最初出版社に出版を断られるが、高山樗牛と久保天随の説得により世に出る。世評を得て版を重ねた。序、例言、詩四十一篇、その他にカーライル、シェリー、ジョルジュ・サンド、エマーソン、ユゴーの詩論と詩人論の抄訳を収める。巻中「星落秋風五丈原」を代表作とする。この詩は諸葛孔明の悲壮をうたったもので、七五調を基本とする文語の多い漢詩調と、浪漫的で男性的な作風を特徴とする。また、幼少からの漢学の素養と西洋思想の感化のあとが見られる。この詩で「丞相病篤かりき」というリフレインが多用されるのも西洋の詩からの影響と考えられる。その他にも多くの対位法が見られる。刊行当初、与謝野鉄幹により激賞され、和文調で恋愛に多く材を取った藤村との対照により「藤晩時代」とも称されたが、後に鉄幹は批判的評価に変わっている。後年、軍歌や寮歌に詩の一節を取られるなど一般には広く受け入れられ、好んで愛唱された。それは晩翠の作風が漢籍からの定型的表現を多く含み、歴史に材を取った叙事詩的作風、高吟調であったことによる。と同時にその作風は、情感の細やかなひだを描く叙情詩、恋愛詩には向かなかった。晩翠自身は後年の詩集を高く自己評価しているが、一般には初期の叙事的作品が代表作とされているのもそういった理由による。しかし新体詩から始まる日本の詩の歴史において、晩翠詩の成し遂げた高みは注目に値する。
これは長い詩の、ほんの書き出しに過ぎない。これは三国志を下敷きに丞相すなわち諸葛亮孔明を歌っている。叙事詩といってもいいのだろう。「丞相病篤かりき」というドラマチックなリフレインなどは当時とすれば斬新なものだったのではないだろうか。しかし、こうした作風は詩の歴史のなかでは廃れていき、寮歌や軍歌のなかに明らかに受け継がれていったと思う。 |