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text/引地 正

世界評論も、新生社も青磁社もふもと社も鎌倉文庫も板垣書店も桜菊書院も、今は出版社名簿から無くなってしまっている。いろいろな歴史を捨象したとしても、むしろ、残っているほうが珍しい。

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 ベストセラーと言ってもどのくらいの規模であったか、というと46年(昭和21)でみると、「旋風20年」森正蔵著は毎日新聞記者であった著者が、鱒書房の鱒永善吉社長の依頼によって書いたもので、11月には上巻が店頭に出たと言うほど、一気に書き上げたものであった。21年22年とベストセラーのトップを飾ったのであったが、部数としては上下あわせて25万部であったという。尾崎秀実著「愛情はふる星のごとく」も同様で、12万部超の売れ行きであったという。

 
旋風二十年   森 正蔵   鱒書房
愛情はふる星のごとく   尾崎 秀実   世界評論社
腕くらべ   永井 荷風   新生社
哲学ノート   三木 清   河出書房
嘔吐   J.P.サルトル   青磁社
完全なる結婚   V. D. ベルデ   ふもと社
架空会見記   A. ジイド   鎌倉文庫
凱旋門   レマルク   板垣書店
自叙伝   河上 肇   世界評論社
夏目漱石全集   夏目 漱石   桜菊書院
 

 世界評論も、新生社も青磁社もふもと社も鎌倉文庫も板垣書店も桜菊書院も、今は出版社名簿から無くなってしまっている。いろいろな歴史を捨象したとしても、むしろ、残っているほうが珍しい。
 尾崎秀実は満鉄調査部の逸材であったが、ゾルゲ事件で処刑された。この本で初めてナショナリズムと言うこととインターナショナリズムと言うものとの相剋を知らされた思いがあった。勿論、この本の出たころは既に故人である。

 また、三木清もこの本の出たころは故人になっていた。三木は西田幾太郎の門下の哲学徒で、学職にあったはずだが、戦時中に政治犯として追われていた共産党の高倉テルを匿った疑いで逮捕、終戦の年に中野刑務所で獄死した。原因は栄養失調による介せんだったといわれるが、義兄の東畑精一が大八車で遺骸を受け取りにいったのだという噂だった。彼は、当時まだ東大の教授だったのではあるまいか。
 それはともかく、この本は非常に名文でいかにも戦後らしい印象的な本であった。
「哲学の歴史が科学への解消の歴史であったとすれば〜」

 この年のベストセラー10には、前年のベストセラーの内6点が入っている。その外のベストセラーは次の通りである。

 
人生論ノート   三木 清   創元社
キュリー夫人伝   E.キュリー   白水社
風知草   宮本百合子   文芸春秋新社
荷風日歴   永井 荷風   扶桑書房

 この年、「夏目漱石全集」はベストセラー4位になったが、8月に商標登録問題がおこった。詳しいことは述べられていないが、この年の「夏目漱石全集」の発行元が岩波書店に変わっていることと関わりがあるのであろう。この問題は、出版協会の石井満会長と、夏目伸六、久米正雄氏等が協議して夏目家と和解したが、「著作権法」の改正と「出版権法」の制定に向けて具申書を衆参両院に向けて出されることになった。また、この年「翻訳出版委員会」がもうけられ、GHQによって発行許可された書物はこの委員会によって訳業審査されることになった。訳業審査とは適訳と認められなければ、出版出来ないことになったのである。
 一月復興金融公庫が活動を開始して、折からのインフレを増進して返品の山を築いたと報道されたが、9月以降は良書主義になり、立て部数を減らして発行点数を増やす傾向に落ちついていった。
 前年より出版社の数の増加が甚だしくて、この年3,446社に達した。

 この年も、ベストセラーのトップは尾崎秀実である。しかし、もっとも話題になったのはベストセラー二位にランクされた太宰治の『斜陽』であった。太宰はこの年の六月に愛人の山崎富枝と、玉川上水に身を投じて亡くなっていたからである。また、未完の『グッドバイ』の草稿も見つかった。 死後に出版された『人間失格』と『斜陽は』敗戦によってもたらされた貴族の没落を象徴的に作品化しており、斜陽族という言葉を生んだ。太宰の作品は、この年だけで三十冊近く出版された。 また、時代小説禁圧のため、暫くでなかった吉川英治の『新書太閤記』と『親鸞』の二冊がでて、一躍ベストセラー入りしたのも特徴的な現象であった。後年のベストセラー作家石川達三のこの本も、その最初の一冊ではなかったろうか。
 天野貞祐は、もともとはカント哲学の専門家であったが、戦後は第一高等学校長や文部大臣を歴任した教育指導者である。

 
愛情はふる星のごとく   尾崎 秀実   世界評論社
斜陽   太宰 治   新潮社
新書太閤記   吉川 英治   六興出版社
罪と罰   ドストェフスキー   河出書房
凱旋門   レマルク   板垣書店
親鸞   吉川 英治   世界社
夏目漱石全集   夏目 漱石   岩波書店
生きゆく道   天野 貞祐   細川書店
この子を残して   永井 隆   講談社
望みなきに非ず   石川 逹三   読売新聞社

 永井隆はこの本と『長崎の鐘』という二冊の本を残して、原爆症のために死んでいった長崎医大の学者である。映画にもなるほどのブームを呼んだが、教授であったのかどうか、医局生であったのかどうか、明らかではなかった。ただ、原爆によっての死が大衆に広まることになった最初の本であり、映画であったように思われる。その意味では、政治的側面を排してあまやかな一面がありながら、悲しい物語ではあった。
 母親がすでになく、父親の死を送る子供ら。遺児は茅野と誠という名前だったと思うが、この後、どうなるのだろうという思いが残った。
 この年、政府は公職追放G項該当出版社78社、出版関係者217 名、執筆関係者335名を公表した。

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