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そもそも、内声とはどういう現象なのだろう。

だれもが、会社の同僚のだれそれの声を心のうちに思い浮かべ、それと論争をしたりすることができる。そんなとき、だれかが喋っているのか? ベートーヴェンの交響曲の一節を、心のうちで鳴らしてみることができる。そんなとき、どこかで音が鳴っているのか? それは外で鳴っている音とどう区別するのか?
大学に入ったばかりのころ、父に「"心"とはどこに在ると思う?」と聞かれてうまく答えられなかった。いまならいちおうこんな風に答えるだろう。
ローソクは実在であるが、炎は現象である。それと同じように、心とは、人間の身体という実在に起因する現象である。だから、"心"は在るのではなく、"起きている"のだ。それがどこで起きているか、といえば、脳を中心とした人間の身体の近傍で、としかいいようがない。
しかし、もちろんこの答には欠損がある。ローソクの炎なら、だれが見てもそこで燃えていることを指差して確認することができるが、心の現象はとりあえず直接には私しか知ることができない。(私にも知り得ない、他者しか知り得ない、あるいは誰も知り得ない心の現象というのもあるが。)そして何よりも、心の現象が奇妙なのは、それが"私の心"という統覚のもとで起きているという点だ。上の答は、心という現象がもつその奇妙な現象形態を明らかにしていない。

心のうちで誰かの声を思い浮かべるとき、心のうちで音楽を鳴らすとき、どこかで軽やかなエンジンのようなものがそれらの発声を支えているのを感じることができる。そして、そのエンジンの運動は、"私"に起因すると感じている。その感覚がなくなれば、それは幻聴、あるいは分裂病者の妄想につながっていくのだろう。
(1999/7/19号掲載)

               
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