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小学校での「呼びかけ」については資料が見つからないのでしばらく擱くとして、(小学校教員である姉の教示によれば、現在の小学校では「呼びかけ」はほとんど行われていない、とのこと)ここでひとつの仮説を述べておく。
1960年代、あるいはその少し前から日本の若者に訪れていた政治的高揚は、1970年代に入って急速に萎み、1980年代には大学のキャンパスで政治的な事柄を話題にすることはほとんどタブーに近い状況になっていく。この急激な変化をもたらしたものはなんだろうか。
それは、1959年の皇太子成婚ブームをきっかけに急速に家庭に広まったテレビではないだろうか。物心がつく前からテレビを見ている(テレビの声を聞いている)子どもたちが、若者になっていく。その広がりに伴って、政治の季節が去っていったと見ることができるのではないか。

永井荷風がラジオの音をなぜ嫌ったか。これはもちろん、ラジオの音が「声」であり、「呼びかけ」であることによっている。そして、テレビとは、この「私への呼びかけ」というラジオがもっていた特性を、さらに強化したメディアである。
テレビは、もちろん視覚像を伴うメディアであり、その点でラジオと大きく異なっている。しかし、テレビの画像は、他人同士が視線を交わし合いドラマを演じる映画のそれとは異なり、アナウンサーのカメラ目線に代表されるように、声の「私への呼びかけ」という特性を強化する機能をもつ。(ちなみに、女子アナがアイドル並みにもてはやされる理由も、このカメラ目線にある。)
実際、精神分析家の新宮一成によれば、テレビの呼びかけに反応し、「意気投合」してしまう分裂症患者が多いという。「この病気ではよくあることだが、テレビを見ているうちに、テレビが彼を見ていたり、テレビが彼という個人に話しかけて来たりする。」(『無意識の組曲』岩波書店、P.53)
(1999/10/12号掲載)

               
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