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森首相が神道政治連盟とかの宴会だか集会だかで「日本は天皇中心の神の国云々」と発言する。これは、その集まりの外部の他者に聞かれることを想定していない声という点で、内声と同じとみなしていい。しかし前にもふれたように、内声は時として唇のかすかな動きとなり、風のようにひそかなつぶやきとなって、他に漏れ聞かれてしまうことがある。それが独言である。
だから神の国云々発言は、日本の新聞に報道された時点で、神道政治連盟が発した独言であり、日本という共同体をひとつの個体と考えると、その中での内声ということになる。
こうしたいわゆる政治家の失言が報道され、国際的に問題にされるといった事態がおこるたびに、右派系のメディアは常に、こうした発言を外国に報せてしまう左派系メディアの行為を、国益に反するといった論調で攻撃する。これはどういった事態だろう。
キリストは、心の中で姦淫するものは姦淫の罪を犯したのだと言う。これは、 内声の場に外部から超越的な〈聞く耳〉を持ちこむことである。内声の場に他者の耳を想定することによってはじめて倫理は可能になる。内声は内声のままで保ち、他者に聞かせてはならないという態度は、すなわち個体の倫理の破壊をもたらす。上述のような右派系メディアの論調がもちきたらすものは、日本という共同体の倫理的退廃でしかない。
(2000/8/21号掲載)

               
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