河合マークは謎の多い詩人だとあらためて思う。
詩をいうのはパーソナルなことを表現しやすいかたちだから、
作家の詩をある程度読んでいくと、
そのひと自身の人間性なり人生なり生活なりがうかびあがってくる、
そういったタイプの詩がとても多いし、
どちらかというと僕もそういうタイプの詩を書いていると思う。
もちろんノンフィクションを書いているわけではなく、
作品にリアリティを持たせるために実体験のディティールを書き込んでいく、
というのが正確なのだが、
小説なんかよりは作家自身のパーソナリティーが色濃く反映しやすい、
というのは確かだと思う。
ところが河合マークの詩を読んでいても、
さっぱり河合マーク自身の顔は見えてこないのである。
僕がサイト「朱欒」で謎の詩人だといったのはつまりはそういうことだ。
河合マークの詩には「ぼく」はあまり登場しない。
ちんどん屋や、仁科薬局の仁科さんや、
ベランダで煙草を吸うぼくの眼下に現れた小さな女の子や
(僕、これ結構すきなんですよね)、
学校のせんせい、に視線がフォーカスしていて
(あるいは読者の視線をそちらにフォーカスさせることによって) 、
「他者」を物語の世界にもちこみ、
徹底的に自分をつきはなしているんだと思う。
河合マークの詩にナルシズムは無縁だ。
僕は『せんせいあのね』を何度も読み返しているけれど、
涙が出そうになったのは一度だけじゃない。
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