英語の授業/現在完了

  さて今日は「現在完了形」の勉強です
  英語では
  He has been dead for three years.
  という言い方があります
  現在完了形は
  現在に至る継続を示しますから
  直訳すると
  「彼は三年間死んでいます」となりますが
  もちろん日本語ではこんな言い方はしません
  「彼が死んで三年になる」
  そう言います

  でも
  その英語の言い回しが
  とても正しいものに思えてくることがある
  ぼくはもう二十年以上も前に死んだ
  友人のことを思い出す
  彼は確か新宿あたりで酒に酔い
  朝方に冷たくなった姿を発見されたと聞いた
  死因はわからずじまいだった
  二十年以上会わない友人なんていくらでもいる

  生きているぼくからすれば
  彼が生きていようが
  どこかで生きていて音信不通になっていようが
  同じこと
  じゃないか

  ドアからではなく
  ガラス窓を不意に開けて
  よお、と入ってくる
  いつもそうだった
  ずいぶんと長い間あいつにも会わないな
  死んだのだったら
  当たり前の話だが
  もしかしたら
  明日あたりひょっこり姿を現すのではないか
  と思ってみる

  彼は二十年間死んでいる
  現在も
  死んだままだ

 この詩は塚本敏雄の詩集『英語の授業』の冒頭に置かれた詩である。この詩の主題は、もちろん <死> である。そして、<死> は詩集全体の主題でもある。

 一連で、まさに英語の現在完了形の授業が行なわれ、二連以降で「二十年以上も前に死んだ/友人」を引き合いにだしながら、死者一般も「生きているぼくからすれば/彼が生きていようが/どこかで生きていて音信普通になっていようが/同じこと/じゃないか」と認識される。

 そして死者も、「もしかしたら/明日あたりひょっこり姿を現すのではないか」という思いにとらわれるのである。

 さらに、一連の現在完了形の授業の意味を駄目押しするように最後の三行「彼は二十年間死んでいる/現在も/死んだままだ」と終わる。

 つまり、現在完了形(現在に至る継続)の直訳の文体で終わることで、逆に、死者は作者の中で、現在に至るまで継続して生きつづけていることを、さりげなく暗示している。

 これは、この『英語の授業』という詩集全体の主題である <死> の総論であり、その後の詩篇の多くは各論と位置づけてもいいだろう。

 そういうふうに読んだとき、この一冊の詩集が肉親の死や、友人の死、恩師の死、事故死した弟の死といった具合に、さまざまの死者が書かれていることが分かる。そしてまた、同じように永らく会わなかった友人との再会も死者との再会ではないかと思わせたりするものもある。

「生きているぼくからすれば/彼が生きていようが/どこかで生きていて音信不通になっていようが/同じこと/じゃないか」のように、である。

 それにしても、「同じこと/じゃないか」の「じゃないか」が改行されていることによって、作者の思いのブレとでもいうものが、うまく表わされている。

「同じことじゃないか」と言ってしまえば「生きていても死んでいても同じ」という断定になってしまうが、「じゃないか」を改行することで、「生きていても死んでいても同じ」という意味だけではなく、「生きていても死んでいても同じ」を打ち消し、「そうは思うけど、そうじゃないかもしれない。生きていることと死んでいることは、やはり違う」といった意味が生まれるからである。

 そして、こうした微妙な表現への配慮がなされているから、一見、明快な論理性によって展開される詩に陰翳がほどこされ、味わいを深くするのである。

 作者の死に対する、こうした思いを基本に、さらに授業は続く。「英語の授業/人称について」と「英語の授業/基本五構文」の授業である。
その二篇を読んでみよう。

  英語の授業/人称について

さて
よく知られるように
英文は必ず人称から始まります
例えば
「ここら辺は雨が多い」という言い方を英語では
We have much rain here.
と一人称から始め
「北海道では雨が少ない」と言うとき 英語では
They don’t have much rain in Hokkaido.
と三人称で語ります

ぼくは
はじめてこういうことを知ったとき
we という人称がにわかに
自分を含めた共同体の像として見え
they という三人称が
見も知らぬ人びとの集団に見えてきたことを思い出す

「彼ら」とはいったい誰だろう
遠い空の下で暮らす会ったこともない人たち
we と they という
峻別の酷さ
「彼ら」にはいつも顔がない

遠い空の下
「彼ら」のもとに
砲弾が降り注ごうとしている
                     2002年3月イラク空爆開始

 

  英語の授業/基本五構文

ひとよ
ほかの地を辺境と呼ぶな
あなたがほかの地を辺境の名で呼ぶとき
あなたはあなたの地を何と呼ぶのだろう

せかいが
主語と目的語と補語に分かれるとき
その分類を免れるものがないということ
その苛酷さを知る
その苛酷さを知るとき
ぼくは
主語と目的語と補語の間をつなぐ動詞が
ことのほか
かけがえのないものに見えてくる

英語では
どんな文章でも
五つの文型のいずれにか分類されます
入門期に学ぶ この知識に
改めて驚嘆すること
から始める

〜は…する
〜は〜である
〜は〜を…する
〜は〜に〜を…する
〜は〜を〜と…する

これが基本五文型と呼ばれるものであり
それ以外は文修飾 あるいは語修飾と呼ばれます
そして
あらゆる思考はこの文型の中に
収監される
文の種類 論理の種類は
無数のようにも見えるのに

だから ひとよ
あなたの目的語を辺境とするな
ぼくの地にも
春になれば花々が咲き
雨期と乾期が繰り返し
冬には生き物が息を潜める
都市には無数の靴音が響き
田園や山岳には朝露が輝くとしても
ひとよ
あなたの文において
あなたは主語であり
ぼくは目的語となるだろう
だが ひとよ
他者を辺境とするな
あなたの目的語を
辺境の名で呼ぶな

 こうして「英語の授業」の「…現在完了」「…人称について」「…基本五構文」という詩を三篇並べ、通して読んでみると、詩人の拠って立つ詩精神の位置と在りようが明らかになってくる。

 例えば、「…人称について」の二連にある「we という人称がにわかに/自分を含めた共同体の像として見え/they という三人称が/見も知らぬ人びとの集団に見えてきたことを思い出す」という四行の認識の在りようは三連・四連の――「彼ら」とはいったい誰だろう/遠い空の下で暮らす会ったこともない人たち/we と they という/峻別の酷さ/「彼ら」にはいつも顔がない//遠い空の下/「彼ら」のもとに/砲弾が降り注ごうとしている 」という見知らぬ他者への想像力へと発展していく。それが「…人称について」学んだ初めのときに既に萌芽していた「見知らぬ人びと」、つまり、 <我々> ではない実感のない「彼ら」が存在することへの畏れが、2003年3月イラク空爆開始の日に「we と they という/峻別の酷さ」として再認識され、その「they」という三人称で括ってしまう危うさに対して静かに声低くではあるが、知識から認識へと思想を深めた詩人の抗議が生まれるのである。

 近年のナショナリズムの台頭による、短絡的で一方的な戦争や民族紛争などの背景にも、こうした「we と they という/峻別の酷さ」が控えていると知らされる。そこには「we と they」いずれにしても、<我々> 「彼ら」と括ってしまうときに、認識から欠落してしまう <個> の表情や生死の問題が焙りだされてくることの危険性があるということである。

 そして、こうして深められた認識は「…基本五構文」において、さらに具体的に詩人の態度表明として、読者たる私、あるいは私たちに向かって呼びかけられる痛切な声として響いてくるのだ。

「せかいが/主語と述語と補語に分かれるとき/その分類を免れるものがないということ/その苛酷さを知る/その苛酷さを知るとき/ぼくは/主語と目的語と補語の間をつなぐ動詞が/ことのほか/かけがえのないものに見えてくる」という詩人の呼びかけは、一段と増幅されていき、ついに終連で「あなたの文において/あなたは主語であり/ぼくは目的語となるだろう/だが ひとよ/他者を辺境とするな/あなたの目的語を/辺境の名で呼ぶな」と、少々、パセティックに呼びかけるのである。

 しかし、誤解しないで欲しい。

 私は、ここまで「英語の授業」三部作に焦点を絞って稿をすすめてきたが、この三部作で「せかい」と向き合う詩人の態度・想像力は、しかし、「they」、つまり、顔のない世界と向き合うことで獲得されたのではなく、初めの方で述べたように、「we」つまり <我々> の中の顔の見える個としての存在である肉親の死や、友人の死、恩師の死、事故死した弟の死といった具合に、詩人の身近な死者との真摯な向き合い方の中から育まれ鍛えられたものなのだ。

 中でも、幼い日の娘のことを追想した「旅立ち」、小学三年生で交通事故死した弟の三十回忌の母親の様子を書いた「盆の月」、またその弟の死んだ日のことを書いた「夏の空」など、平易でありながら深い悲しみと哀惜が、まさに「英語の授業/現在完了」によって増幅される。いや、こう言い換えてもいい。

 個々の顔の見える <死> によって「英語の授業/現在完了」も、また「英語の授業/人称について」も「英語の授業/基本五構文」も増幅されると。
もちろん、その他の詩篇も先述したように、「英語の授業/現在完了」を総論として、それぞれが各論を形成しているのである。

 その一々を比較分析する余裕はないが、全篇を通読すれば、そのことは容易に納得がいくはずだ。

 あえて譬えるならば、詩集『英語の授業』は全体が細部を、細部が全体を際立たせる、見事な構成の一冊の交響詩なのだ。

 未知の詩人の未見の詩篇に、これほど魅せられたのは久しぶりのことだ。この詩集が読めたことを心から感謝したい。

 さて、最後に、「旅立ち」を引いて、この稿を終わることにする。

 旅立ち

 おまえはもう覚えていないかも知れないが
 小学生のころ
 夏や冬の長い休みに
 よく家族で旅行に出かけた
 たいていはおまえの学校の休みが終わる直前
 明日から学校というようなころ
 そのころにしか
 こちらの勤めの休みがとれなかったからだ
 一泊か二泊でどこかに出かけて帰ってくる
 夜の車の後部座席
 疲れて眠り込む幼い妹の傍らで
 おまえはいきなり黙り込む
 おまえも疲れて眠り込んでいるのかと
 振り返ると
 おまえは涙を流している
 慌ててわけを問うとかぶりを振るばかり
 お母さんなんか狼狽えて
 学校に行きたくないの と問いただす
 そしておれの方にはそっと
 友達にいじめられて
 学校に行きたくないのじゃないだろうか と
 真剣な声で聞いてきたものだ
 しかし
 そんなことが何度もあるうちに
 おれには分かってきたよ
 おまえは
 楽しかった旅行が終わってしまうことを
 静かに悲しんでいたのだ
 どんなことにも終わりがある
 ということを
 おまえは悲しんでいたのだと
 そして
 おれも今頃になって
 おまえの少女時代が終わるころになって
 どんな時間にも終わりが来ることを
 知りつつある
 おまえのなみだは絶対的に正しい
 今という貴重な時間は
 ひとときもじっとしていない
 だからこそきっとおまえは
 あのとき涙を流したのだ
 暗い車の後部座席でのおまえの姿を
 おれはいま
 しきりと思い出す
                              二〇〇六年五月三日

2006年7月10日号掲載

 

「禾」12号・2006年7月1日発行より転載

 

 

【本多 寿プロフィール】

1947年7月25日生まれ。
20歳の頃に原因不明の病気で一時、下半身不随になる。この頃、友人が見舞いに 持参した聖書に触れ、「創世記」を筆写。26歳頃より詩を書き始める。その後、さまざまな詩誌を経て、現在に至る。また、1998年よりパソコンによる版画を始める。

詩集
「避雷針」(1978年)
「馬・たまふる」(1979年)
「聖夢譚」(1984年)
「日向(ひゅ うが)」(1988年)
「果樹園」(1991年)
「火の柩」(1993年)
「棘」(1996年)
「灰と火と樹木と影と」(1999年)
「日の庭−無限対話」(2001年)
「天地双身」(2005年)

訳詩集
英訳詩集「Tales of Holy Dreams」(Michael Huissen/尾沼忠義訳・1999年)
フィンランド語訳詩集「Pyh Uni」(Kai Nieminen訳・2002年)
韓国訳詩集『七つの夜のメモ』(韓成禮訳・2003年)

評論・エッセイ
「詩から詩へ」(1991年)
「微かな余韻−詩と日常と」(1997年)
『対話を求めて――果樹園通信1999〜2003』(2003年)

編著
「石の下のこおろぎ−詩人渡辺修三の世界」 (1994年)
「高森文夫詩集」(2005年)