いち その時、塚本敏雄は詩人ではなく、二人の娘を持つ優しいオヤジだったりする。
にぃ その時、塚本敏雄は詩人ではなく、適度に田舎で適度に都会の高校で、英語を担当する教師だったりする。
さん その時、塚本敏雄は詩人ではなく、ヤンキーでファンキーな音キチの、DJ toshiだったりする。
しい その時、塚本敏雄は詩人ではなく、裏ドラをこよなく愛する麻雀ヤローだったりする。
ごぉ その時、塚本敏雄は詩人ではなく、ひょうきんな妻を持つ、これまたひょうきんな夫だったりする。

 そのように、いくつ数えようとも塚本敏雄は、あくまでも詩人ではなく詩人だったためしもない。そんな彼が3冊目の日記を公開した。実を言うと、彼には2種類の 日記がある。ひとつは純粋な記録のためのダイアリー。そして、もうひとつは心の 健康のための裏日記。ひとつは淡々と出来事を書きつづる。そして、もうひとつは信者が 教会へ行き、一人懺悔するように、あるいは井戸に向かって「王様の耳はロバの耳」と叫ぶように言葉を紡ぎはき出していく。すべてを思い、すべてを語り、時に大きく反省し、時に邪悪になり、時に誰かをウラヤミ、時に涙を流し、さらに自分をもののしる。そして、ある瞬間何かが消化されていく。それからそれから、何事もなかったように世俗に帰り、何食わぬ顔をして……なな、はち、きゅうー。とてつもなく明るく、とてつもなくひょうきんで、とてつもなくべらんめえな、やっぱり、そうだったか、目の前にはいつもの彼がいる。

 そんな彼の裏日記の言葉たちは、ある時は通勤の車の中で、ある時は帰宅後の湯船の中で、DJの曲探しの合間で、おいおい冗談だろ?まさか!リーチをかけて相手の捨て牌を待っている、そんな時にも現れたりするんだ。そんな時にも、こんな時にも、ひょっこり現れて、いつしか紙面に綴られていく言葉たち。そうして出来上がってしまったのが、この裏日記本だ。それを人は時に「詩集」などと呼んだりもするが、彼はあくまで詩集など出したためしはなく、だから彼は徹頭徹尾詩人であったためしもない。ただ彼はひたすらバランスをとって生きていくのに必死なだけなのだ。だから、塚本敏雄がこれからも塚本敏雄たるために、彼は今後も日記を書き続けることになるだろう。

 3冊目の裏日記に乾杯しようではないか?

2006年7月10日号掲載