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あの夜はしたたかに飲んだ。塚本敏雄と、そしてもうひとりの男がいたと思う。時は花の頃で、場所は京都の先寸町の薄暗い路地を入った、笑うセールスマンのようなマスターのいるバーだった。もうひとりの男は、そのマスターを、実はロシアのスパイなのだと言っていた。塚本敏雄は、確かこんなことを語ったように思うが、もはや記憶は確かでない。俺は体育会系の同僚にこういわれた。ツカモトさんよー、俺にも分かるような詩を書いてくれよー。その人はとってもいい人で、ああ、俺は、この人によろこんでもらえるような詩を書きたいと思った、と。
塚本敏雄の第二詩集である『リーヴズ』の中から想像してみる上記のような「父」は、彼の第一詩集である『花柩』の中にも違った姿で登場しているように思える。そこでの「父」は、故郷に帰り着き、家庭を持ち、子をなし、幾人かの近親を亡くし、父の父、父の祖父から続く、土地の精霊と言霊の中から言葉を紡ぎ出そうとしていたかのようだ。故郷に帰り着くまでの「父」は抽象的な存在だった。その抽象的な父が、体の中に蓄えていた抽象的な言葉と、土地の言霊をつき合わせて、詩の言葉を紡ぎ出そうとでもしているかのようだった。
しかし、詩心のない私には、彼の抽象的な言葉は理解できない。私は、彼の体育会系の同僚と同じで、彼の第一詩集を理解できているとは思えない。読み返してみて、面白いと思うところが沢山あるにしても、やっぱり分からないという思いは残る。塚本敏雄は、様々な断片的で抽象的な言葉を、組み合わせ、練り合わせることによって、新しいイメージと詩の言葉を作り上げようとしているようなのだが、それらの断片的な言葉を組み立てて新しいイメージと詩の言葉を作り上げる結構(仕掛け)が、私には結局のところ、読みとれないのだ。それに比べると、彼の第二詩集『リーヴズ』は、分かり易い詩になっていると私も思う。分かり易い詩であるということが、詩にとって良きことであるのか、悪しきことであるのか、詩心のない私には判断しがたい。しかし、この「分かり易さ」を私は支持したいと思う。わたしもまた、塚本敏雄と同じように(それができるかどうかは別として)「分かり易く」語りたいと思う。そしてその理由を、できるだけ「分かり易く」説明しなくてはならないと思う。例えば、凶悪犯罪者が突然小学校を襲って何人もの児童を殺害するというような事件が起こるときに、銀行や警察や政治家や大学がその権威を失墜させ、小泉政権が異常な支持を得るというような時代に、塚本敏雄の第二詩集はいったい何を伝えようとしているというのか。そのことを語るために、塚本敏雄の第一詩集から第二詩集への移行と重ね合わせて、われわれの時代の思潮の流れをおさらいしておきたいと思う。
塚本敏雄の第一詩集を成り立たせていた思想を「分かり易く」図式的に単純化して語るならば、「ポスト構造主義」的な「間テクスト主義」であったと言えるだろう。(断言的な単純化の責はひとえに解釈者にある。)スラヴォイ・ジジェクによれば(ジジェクによる必要もないかもしれないが)、ポスト構造主義者(主にデリダ的な)のテーゼは「<メタ言語>は存在しない」と要約される。テクストはつねにそれ自身への注釈によって「枠」をはめられている。文学的テクストの解釈はその「対象」と同じ地平上にある。したがって解釈もまた文学の全集積(コーパス)に含まれる。解釈という要素を含まぬ「純粋な」文学なるものは存在しない。例えば詩は、つねに、先行する詩の引用であり、解釈であり、すべての詩がつねにすでにそうである限りは、同等の権利を持って、断片的な言葉の組み合わせと、練り上げによって、新しい詩を構築することができるだろう。「かくしてポスト構造主義においては、対象としての文学とその外部にある解釈的読解という古典的対立は、つねに、すでにそれ自身の読解である、無限の文学的テクストという連続体に置き換えられる。だからこそ、とりわけポスト構造主義的な方法は、純粋に文学的なテクストの中に、それ自身の機能に関する理論を内包した命題を探すことだけでなく、理論的テクストそれ自体を「文学」として読むことでもあり、より厳密にいえば、「真理という効果」を生み出すテクストのメカニズムを明るみに引き出すために、「これが真理だ」という自分の主張を括弧に入れることでもある。」ジジェクに言わせれば、「ポスト構造主義者たちはやたら熱心に、すべてのテクストは──彼ら自身のテクストも含めて──根本的両犠牲に囚われており、相互テクスト的過程の「遍在」に溢れている、と強調する」「彼らは「詩的に」書こうとする。また彼らは、われわれ自身のテクストもまた複数の過程の脱中心的なネットワークに囚われており、このテクスト過程はつねにわれわれが「言わんとすること」を転倒するのだ、ということをわれわれに感じさせようとする。」ジジェクは、ポスト構造主義に批判的であるわけだから、ポスト構造主義は「自分の考えを公表するための純粋に理論的な形式をできるだけ避けようとし、普通は文学の専売特許であるような工夫をする」し、結局のところ彼らは「脱中心的なテクスト過程から脅かされない安全な立場から発言しているというのが、ほとんど見え透いている」という。ジジェクが言いたいのは、ポスト構造主義者が「<メタ言語>は存在しない」と主張し、自らの言説も含めて脱中心的なテクスト過程に巻き込まれていると主張しつつ、その主張自体は、安全な立場のメタレベルから語られているのではないかということだ。ここで言われているのは、理論家の言説に対してであるし(但し、原理的に考えるならば、ポスト構造主義者においては、文学的テクストと理論的テクストの間の階層は存在し得ない)、この批判をそのまま塚本敏雄の第一詩集に当てはめることができるとは思わない。塚本敏雄の第一詩集が「ポスト構造主義」的なものであるという仮定が間違っていないとしても、ここで語りたいことは、ジジェクの批判とは別のことである。あるいは、少し別のことである。
そもそもポスト構造主義とは何であったか。橋爪大三郎は『現代思想はいま何を考えればよいのか』の中で、ポスト構造主義が、最終的にマルクス主義に引導を渡したのだと論じている。「ポスト・モダンを受容した人々にとって、資本主義社会は、いまさら否定する必要もない日常であった。消費社会を否定してみたって始まらない。現実が刺激的で、満足すべきものなら、現実を超える大きな「思想」などいらないというのが、ポスト・モダンの底流をなす感覚である。」マルクス主義がスターリン批判以降次第に旗色を悪くして以来、さまざまな思潮がそれに置き換わろうとしてきた。まずサルトルの実存主義があり、構造主義があり、そしてエコロジー運動があった。そして八〇年代に入って、ついに「マルクス主義なんか知らないよ」という新思潮が登場する。それがポスト構造主義であるということになる。「思えばわれわれは長いあいだ、大きな鏡によって、自分の社会を照らし出してきたのだった。マルクス主義という世界観は、われわれの社会をぐるっと囲み、それがどんな社会で、どっちに進んでいくのかを、いちいち教えてくれた。むろん、歴史の指し示す方向に進んでいるはずだった。けれども、どうやらこの鏡は、凹面鏡かなにかのように、ひどく歪んでいたらしい。ひびわれを少々埋めたくらいでは、追いつかない。それどころか、とてもわれわれのありのままの姿を映してくれそうにない、ということが分かってきた。ポスト・モダンは、そんな役立たずの鏡はもういらないよ、ととうとう宣言したのである。」
リオタールの「ポスト・モダンの条件」が、「大きな物語」の消滅であったことはよく知られている。思想は、われわれに世界観を与えてくれていた。われわれの生に意味を与え、希望を与えてくれていた。マルクス主義は、そのような機能を持った最後の「大きな物語」であったのだ。マルクス主義の失墜の後に「大きな物語」は維持され得なくなる。ポスト構造主義は「大きな物語」を撃つことをこそ目的とした思潮であったとしても良い。様々な言葉や言説を支える、絶対的な参照項は存在し得なくなる。言葉は、お互いを写し合うことによってのみ、言葉として成立するだろう。「大きな物語」は、<メタ言語>と呼び換えられても良いし、何かしら「超越的なもの」と言ってみても良い。もう少しだけていねいに語るなら、先行する「神的なもの」の失墜の後に「人間」が登場し、その「人間」を支えるものとして「大きな物語」が存在した。マルクス主義は、その「大きな物語」の最後の砦であった。しかし、マルクス主義の失墜の影響力は、「大きな物語」の機能不全に止まらない。端的に言って、マルクス主義の失墜の後に、人類は資本主義への対抗の手段を(その可能性を)失ってしまった。
様々な物語が失墜している。学校の安全性の物語も、政治家や教師や警察官や役所の誠実さの物語も、自民党の物語すら信頼できなくなり、それでも人々が何よりも気にかけているのは景気であるというようなわれらの時代。
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