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ニーチェの告発した哲学

 いま我々が「現実」だと感じているこの世界が「夢」だったとしたら。そうしたプロットを持つ物語は古今東西に存在する。古くは胡蝶の夢から、もう10年も前のことになるが「湾岸戦争は起こらなかった」と書いたボードリヤーもまた。『マトリックス』もそうした物語のバリエーションのひとつだと言えよう。

 キアヌ・リーブスが演じる主人公ネオは、コンピュータのソフト・エンジニアを昼の顔として持ち、夜はハッカーとして活躍している自分の生活を「現実」のものだと考えていたが、さまざまなシステムに進入するうちに「マトリックス」というキーワードにあたり、その真実の姿を知りたいと思うようになる。ネオが生きている『マトリックス』の世界が、実はコンピュータの作り上げたバーチャルな世界であったことは既に書いたとおりだ。

 ネオを、「マトリックス」の外の世界へ、夢から覚めた真実の世界へと導くのは、原人類とともに「マトリックス」を操るコンピュータへの抵抗運動を行っているレジスタンスの勇者モーフィスだ。モーフィスもまた元は「マトリックス」の世界のハッカーであり、「マトリックス」の夢から覚めた覚醒者なのだ。覚醒者たちは、予言者のもとに言葉を与えられに行く。モーフィスは、予言者が「いつか救世主があらわれ人類を「マトリックス」から救い出す」と言った言葉を信じ、ネオこそがその救世主であると信じているのだ。

 以前に解説したように、人類はコンピュータに生体発電ユニットとして栽培され、「マトリックス」の世界の中で生かされている新人類と、コンピュータの手から逃れた原人類とに二別 されている(新人類と原人類という呼び分け方はここだけのものだ)。原人類たちは密かにコンピュータの知られることのない場所に潜み、新人類の覚醒者たちとレジスタンスを組織して戦っている。コンピュータは(そしてその手先のエージェントたちは)、原人類たちをレジスタンス組織を破壊し、根絶やしにするためにモーフィス達を追っている。

 古代インドの哲学者たちは、この世を幻想であると覚悟した。この世が幻想であることを覚悟できるものだけが、世界の真実の姿を獲得できるのだ。釈迦につながる覚醒者たちも四諦をもって覚悟した。この世を空しいものと観ずるこうした哲学者たちをニーチェはニヒリズムとして告発した。

 ところで、レジスタンスの戦いは、結局のところは救世主を捜し出し、救世主の力にすがることにつきている。原人類と覚醒者たちは、もちろん生体発電ユニットに繋がれていたネオを「現実」に救い出すのだが、その「現実」の側からコンピュータシステムを攻撃することは試みられることがない。いまや圧倒的な力の差が、それを許さないということなのかもしれない。

 では、救世主とは何か。救世主の存在を語るのは予言者であるが、その予言者は「マトリックス」の中に住む新人類であるらしい。したがって、覚醒者たちの戦いは「内在的」な戦いとなる。覚醒者たちは、覚醒した者たちであるにもかかわらず、再び「マトリックス」の中にプラグインすることで戦う。したがってその戦いは、プラグインすることのできるジャックを持つ新人類だけに可能なものとなる。

 では、原人類と新人類との関係はいかなるものであるのか。原人類によるレジスタンスによって新人類の覚醒者は生まれたのか(原人類が発電ユニットから新人類のプラグを抜くことによって?)。あるいは、新人類の側に覚醒者が生まれることによって、新人類と何らかの形で連絡を持つようになったのか。物語を観察すると、おそらくは最初に覚醒したのが新人類の予言者であり、その予言者の許に密かに集まる覚醒者たちが何らかの形で現人類とコンタクトを持つようになったと考えるのがより確からしいように見える。

 そこで、原人類の姿は奇妙に希薄である。

(つづく)

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