ワタクシは今日、素晴らしい理論を発見いたしました。それは、名付けて、「言葉の七音階理論」と申します。今からそれを、「すごい」というひとつの言葉を例にとって、具体的に証明してみせましょう。

  ド・・・・「すごい」
  レ・・・・「すご〜い」
  ミ・・・・「すげぇー!」
  ファ・・・「すんげぇー!」
  ソ・・・・「すんぎぇー!」
  ラ・・・・「んぎぇー!」
  シ・・・・「ぎぇー!」

さて、ロックというのは、ただ喧しいだけだ、という意見もあります。けれども、ワタクシから言わせれば、そういうことを言う人は、優れたロックの中にある上記の「シ」、すなわちB音が聴き取れないのです。そのような人たちには、「ぎぇー!」は、あくまでも「ぎぇー!」から始まるものであって、そのサウンドが「すごい」のC音を基調としていることを、感性として把握できない人たちなのでしょう。

一方、「ロック」というものを「やっている」つもりの演奏者たちの中にも、特に昨今のワケェ奴らの中には、ロックとは「ぎぇー!」から始まるものと勘違いしている人が少なからずおります。「ぎぇー!」から始まる彼らのエセロックが、聴衆に「すごい」を喚起させることができないのは、以上の理論上、当然のことなのです。

ロックの命とは、「すごい」を「ぎぇー!」に、如何にしてもっていくかにかかっております。その信条をもってすべての俗曲に耳を傾ける時、どれがロックでどれがロックでないのか、それは、容易に判断し得ることでしょう。うそだと思うなら、あなたも今ここで、「すごい」という気持ちを込めて、「ぎぇー!」と叫んでみてください。……ほら、CがBになった。ロックしたでしょ。

「君が代」も「荒城の月」も「よさこい節」も、すべてがロックたり得る訳は、ここに由来するのです。

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