p r o f i l e

 行き過ぎたローカリズムも問題だけれども、ふだんどれだけみんながそこを大事に思っているかというのは、やはりよそ者にはわからない。毎日毎日、波チェックし、いい波が立つ日を心待ちにし、浜の清掃に積極的に参加し、環境破壊に通じるような問題があれば、真摯に取り組み、人のつながりを大事にし、そうやって積み重ねてきたものを、ないがしろにしてはやはりいけないのだ。

 だからローカリズムの強いポイントで、ルールやマナーと言われていることを錦の御旗のように掲げて、傍若無人に多人数でアクセスしたり、次から次へといい波をとってしまえば、ローカルの怒りをかい、どんどんドロップインされたり、スネーキングされたりすることも起こりうる。

 このあたりは、非常に微妙な、その場その場のアトモスフィアであり、個々の人柄やライディングがかなり関係してくると思う。

 とりあえず、そこまでして波取りの争いに加わりたくないし、加わる力もないわたしとしては、その海の雰囲気がいいのがいちばんで、仲間うちでの無作為のドロップインはお互い笑顔で許し合い、いい波も譲り合い、笑顔でいられる海がいちばんいい。

 

ルール

マナー
 波乗りにも、ルールがありマナーがある。はっきりとした言葉で表せるもの、言葉では言い表しがたいもの、ワンマンワンウェーブ。わかりやすい。ひとつの波にひとりが乗る。そのためには、その波はだれのものなのか、という優先順位が必要だ。ピークから最初にテイクオフした者に、その権利がある。さあ、そのピークはどこか。波が盛り上がり崩れ始める際が、ピークであり、きれいな三角波なら、左右に分かれて二人、乗っていくことができる。その崩れ際は、波の「奥」ともいい、だれのものかといえば、より奥から乗ってきた者のものなのである。その先の斜面からテイクオフするのは御法度で、ドロップイン、あるいは前乗りと言われるルール違反である。

 だから、ピークから人が乗ってくれば、そのライン上の者はテイクオフ動作をやめなければならないし、うっかりテイクオフしてしまった者はすぐ波からはずれなければいけない。気づかずに乗ってしまい、ピークから乗ってきた者のじゃまをしてしまったならば、すぐさま、あやまらなければならないし、気づいていながら乗っていくのは、はなはだしいマナー違反となる。 また、すでにピークでテイクオフの体勢に入った者がいるのに、その前を横切ってより奥にパドリングしていったり、テイクオフのじゃまをするような行為は、スネーキングと呼ばれ、これまたマナー違反である。

 また海の中では、ライディングしている人のじゃまは、してはいけない。沖に向かうとちゅうの者が、沖から乗ってくる者のじゃまをしてはいけないのだ。だからラインからはずれたところから、遠回りをして沖に向かうほうがよいし、たとえスープにつかまって難儀しようとも、ライディング中の者の進行方向と逆によけるほうが正しいし、万が一じゃましてしまった場合は、ゲティングアウト中の者が謝るのが正しい。

 といっても、ときどきそれを納得しないやからもいる。乗ってる人がよけるのが道理だろうと。はたしてそう? どんなスポーツでも、プレイ中のフィールドにずかずか入っていくような行為は許されないだろう。もちろん、お互いに気をつけることも大事だし、ぶつかってケガさせるよりは、ライディングを途中で諦めたほうがいい場合もある。

 でも,やはり一声かけるとか、謝るとか、ルールとマナーに基づいたコミュニケーションは、大事だよなあ、と日々思うのである。

 と、ここまでは言葉で簡単に表せる世界。だれもがいい波に乗りたい。楽しく波乗りしたい。だからピークを見極めて、適切な位置で波を待つことも大事になってくる。言い換えれば、いい波の来るあたりには、人も集まるということだ。しかし、ひとつのピークで楽しく波乗りするには、定員も限られてくる。定員オーバーとなってしまえば、ポイントパニックと言われる状態となり、険悪な空気さえ漂う。

 自らの技量を過信し我が物顔にふるまえば、他の人のひんしゅくをかうし、その場にそぐわないレベルの実力しかないのに、波取りの争いに加わるのは無理があるし、ひどいマナー違反を繰り返す者がいれば、けんかに発展することもある。

 また、ルールとマナーが万能かといえば、必ずしもそうではない。

 ローカリズムという言葉があって、波乗りのポイントごとに、さまざまな特色がある。一般的にローカリズムが強いポイントというのは、いつもそこで入っている人たちがとても大事にしているポイントで、よそ者が入りにくい雰囲気がある。ルールとマナーをきちんと守って、いい波をあさるような真似をしてはいけない。できうれば、いちばん波のいいピークはローカルのものとして尊重し、少し離れたところで波乗りするくらいが無難である。

 ふだんから入り慣れた海だと、ときとして、波のごきげんと人の気持ちが見事にシンクロして、その場に居合わせた者すべてが、それぞれの技量に応じて波を分け合い、声援を送りあい、ポジティブに競い合う、奇跡のような場が発生することもある。

 逆に、人の気持ちがすさんだ海は居心地が悪い。

「ヘイ」というのは、ドロップインした者に向けた掛け声。「ヘイ」が飛び交い、それが怒号のように響く海、あるいは「あがれ」という言葉、めったに見ないが、あまりにひどい状態になると、浜で、腕っぷしに物言わせてという事態になる。居心地悪い海にわざわざ入る必要はない。人があまりに多ければ、あるいはエキスパートオンリー、ローカルオンリーの状態になっているときは、潔くそこで入るのはあきらめることもかんじんだ。

 そとの世界から見れば、幼稚でわけのわからない世界かもしれないけれども、そういう荒っぽい部分も含めて、あるいは「けっきょくうまけりゃそれで勝ち」みたいな部分も含めて、わたしは、あまり嫌いではない。いろいろなことをひとつひとつ、海の中で学んでいくうちに、人は謙虚さも学ぶことになる。自然に向き合うときに、いちばん大事なことを、学べるのである。

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2007年8月6日号掲載