*B’7号(1986年3月3日)より転載

text/安宅久彦who?







  伸夫君。

 お手紙拝見しました。そしていささか困惑しまして、いったい私から直接君に返事したものやら、それとも手紙を君のお父さんに見せて返事を書いてもらったものやら迷いました。返事が遅れたのはそのためです。

 そして今回は少々妙なことになるが、私から返事を差し上げることにした。というのは、君の手紙が矢張り少し常軌を逸した内容なので、国外で私の計画のために尽力してくれている君の父さんに余計な心配をかけるかと思われたからだ。君の父さんもいよいよ私の庇護の下を離れて、来年には私の仲間の一人として国政の舞台に立たれることになろうし、その前に、最後に私のためにと奔走してくれている大事な時なので、あまり不安にさせるような事を耳に入れたくはなかった。そこで心配な部分を省いて、君の手紙のおおよそを概略を、つまり君がどこに居て何をしているのか、状況と居場所だけを秘書を通じて伝えさせるに止めた次第です。

 父さんはたいそう安堵されていたそうだよ。そして君が国家試験を放棄した件については、決して怒ってはおられないそうだ。

 それにしても伸夫君。

 手紙の内容にもその事が触れられていたので、自分自身で自覚していることとは思うが、君はまだ本当に具合が良くないのではないかね。

 正直いって私あての郵便物のなかに、君の手紙が入っているのを見た時には、またいつぞやの君の革命家気取りの続きかと思ったものだ。しかしその内容を読んで、私は安心すると同時に、別の心配をせねばならなかった。君の手紙にはおかしな点がいくつもあった、が、その中でも最大の過ちは、君がどうやら手紙の相手を間違えているらしい、という事だ。

 それは君の父さんと私は長年の僚友でもあるし、君が私のことを父親のように思ってくれていたとしても少しも不自然ではない。むしろ嬉しいくらいだ。

 しかし、君の手紙の文面を見る限り、どうやら君はこの私を本当の父親と混同しているようだった。

 気を確かに持って欲しい、伸夫君。私は君の父親ではないのだ。君にはちゃんとした父さんがいて、今も元気で働いている。そうでしょう。

 それとも君も、亜耶さんの妄言癖に影響を受けていたのかね。

 亜耶さんに対する君の悪口造言も、目に余るものがあった。いったい自分の母親に対してあのように呼び棄てにし、気違いあつかいをする息子がどこにいるだろうか。君の態度はとても理解できません。

 君の母さんは、確かに一時気がおかしくなられ、入院された事もあった。だが今は殆ど健康に戻られ、以前のように暴れたりすることもなくなったし普段はまったく普通の人と変わらぬ生活を送ってられます。私に対しては以前のいきさつもあるので、私が家に行ってもあまり良い顔はされないようだが。

 先日こんなことがありました。

 その日私は本山の御本堂の上棟式に出席し、法主様と親しく言葉を交す機会を得た。式を終えた後、私は君の父さんと側近を引き連れて、十人余りで君の実家を訪れたのです。亜耶さんは常の如く、酒肴を膳立てている間も私をまるで透明人間であるかのように無視する態度でした。

 その亜耶さんが突然、私の前に来て畳に座り、私のほうを向いて合掌したまま深々とお辞儀をするのです。二十数年来、私に対して口もきいてくれなかったというのに。

 私は亜耶さんの相変わらずの信心深さに舌を巻いた。彼女は私がその日法主様と話をしたというのを耳にして、私に移った生き仏の影に向かって手をあわせたのでしょう。多少気が変でも、真個を失わぬのがとりえです、と君の父さんも言われたことでした。

 お母さんを大切に思わなければいけない。君のように大事に育てられてきた者はなおさらです。

 君の送ってよこした荷物だが、亜耶さんの所で中を開いて見ました。中に一杯に詰まった梅の実は、彼女が隠していた間に全部萎れてひどい匂いをたてていたけれども、丁度亜耶さんは医者に梅の実を食べることを禁じられていた所なので、却ってよかった。ちゃんと母親の好物を覚えていて、それを送ってよこす所を見ると、君が実は母さんを気づかっていることがわかる。それを感じて少し安心しました。

 それにしても、君の手紙での親や周囲に向けた憎悪はどうしたものだろう。

 酒井君に対しても、君は何か誤解しているようだ。あれは大変気のいい青年で、君の父さんと君の仲立ちをしながらも、君の事を友人のように主っていたのだよ。

 確かに乙黒君からは君の生活について、それから思想上のことについて、よからぬ話が二、三あったようだが、格別君をスパイしようなどとは考えてもいなかった。君が本当は大人しい、純朴な青年で、大それた事などするはずもないということは私も知っていたし、君の父さんも君を信頼しておられたと思う。

 感謝しなければならない。

 君の父さんからその他君への若干の細かい連絡事項をことづかっており、また私からは幾つか言うべき事が残っているが、こうした手紙であまり立ち入った事を書くわけには行かないので、それらは秘書を通じて君の今居る病院の院長に伝えておく事にする。その方が君の希望にも沿う事でしょう。

 元気で頑張ってくれたまえ。これは私の意見だが、現在の状態を考えると君はまだまだ試験のことなどに気を使うべきではないと思う。ゆっくりと今の生活を続けて、心の病いを完全に退けてからでも遅くはないではないか。君はまだ若いのだから、何もあせる事はない。

 最後になるが、君のことはこれからも面倒を見させてもらうつもりです。不如意の事があれば何なりと言ってきたまえ。父親の友人として、出来る限りの事はさせてもらう。特に君がやがて社会に出れるようになる日には、私のしてやれる事も多いだろうと思う。くれぐれも御自愛されたい。

 これで失礼して、筆をおかせてもらう。目を挙げると、書斎の窓から黄芙蓉の花が風ぶ揺れているのが見える。君の母さんの好きだった花だ。

 久しく花を生けていないが、今日は一本さかりの奴を切って、床の間に飾って見ようかと思う。

 九 月 × 日
衆 議 院 議 員  榊 原 善 一 郎  

(了)

2005年1月31日号掲載