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text/結城 悠


 黄色い電車がやってきた。毎朝、東京の隣県から都心へと彼、そして彼同様に二つとないささやかな人生を抱えた膨大な数の人々を運ぶ金属の箱が、ホームへ滑り込む。
 彼は疲れていた。このホームに立つ者たちは皆、それぞれに某かの理由を抱えておおよそ疲れ果てているように見える。が、その気配は今日が月曜日であることで、一層濃厚になっているように彼には感じられた。
 すっかり定着した観の週休二日制は、「たまの休みは家でゴロ寝」というサラリーマンのいにしえのライフスタイルを強迫的に許さない。グレーのス  ーツが自分の皮膚のように馴染んだ彼のとなりの中年男も、“久々に行楽日和に恵まれた”昨日は、おそらくうんざりする渋滞の中、ゆるゆると続くマイカー行進の優雅な奴隷の列に加わりながら、助手席の妻の苛立ちと後部座席の子供たちの喧噪をたっぷりと味わいつつ、家族サービスに精を出していたに違いない、などと彼は想像する。
 独り者の彼の場合、この週末はまた、いつものように山へ釣りに出かけた。
 釣りが趣味といっても、彼はもっぱら川、しかも山深い渓谷の釣りを専門にしている。理由は二つあった。一つには、海は汚いからだ。どんなにきれいに見えても、東京周辺の近海など、どこも化学物質で汚染されきっている。そんなところで釣った魚など、食えるものではない。彼は、釣った魚は必ず食べる主義なのである。どこよりも水質がきれいなのは、川の源流に他ならない。彼にとって安心して食べられる魚とは、山の、源流の渓流魚だけなのだ。ただし、ゴルフ場が近くにないことを条件とする。ゴルフ場が近ければ、たとえ源流といえども、まず農薬に侵されていると見ていい。
 彼が山釣りにこだわる第二の、そしてもっと大きな理由は、彼が源流の魚以上に源流の景観そのものを何より愛していたことだ。彼は峡谷の、変化に富んだ、決して太くはない神秘的で透明な水の流れを、ただじっと見つめているだけで、夜明けから日没まで充足して時を過ごすことが出来た。
 そういうわけで、休日のたびに彼は中古の四駆に飛び乗って、独り山の中へ入っていった。 冬の禁漁期でさえ、 晴れた日には山通いを欠かさない。「来シーズンの下見である」と自分に言い聞かせて、かんじきを履き、 防寒具に身を固めて、黙々と積雪の渓を遡上し、氷で覆われていない落ち込みや滝壺を発見すると、結局その場にじっと佇み、冴え冴えとした透明な水の流れに釘付けになったまま、一日を過ごすのである。
 シーズン中は多少の雨にひるむ彼ではなかったが、風の強い日には、しかたなく家に籠もって、竿の手入れ、仕掛けや疑似餌作りなどに没頭した。しかし彼は、たまに試作する疑似餌をめったに使うことはなかった。彼の釣りは、餌釣りがほとんどなのだ。しかも市販されているイクラやミミズ、ブドウ虫などはあまり使わない。普通、釣り師は季節や場所によって餌を使い分けるが、彼の場合は、たいてい現地の河床で調達する川虫を餌にしていた。彼は、その川虫取りも大好きだった。時にはあまり夢中になって川底の石をひっくり返しているうちに、一日の大半を費やしてしまう、ということもあった。
 河床からすくい上げた石の表面をせわしなく這うカゲロウの幼虫を、彼は「カワイイ」と思うのだった。しかし、そんな「カワイイ」川虫を、 いざ餌箱から取り出して、その尻の穴に針を器用な手つきで通すとき、彼の眼は獣めいてくる。彼は決して川虫を殺さずに、針を尻から背中まで貫くことが出来た。
 川虫を刺した針を川に投入し、息を殺して川面を流れる糸を見つめている時、彼はよく、針についた川虫が水中でどんな動きをしながら流れているのかを想像した。想像に耽るうちに、時にはそのことが魚を釣ること以上に重大なことのように、彼の頭の中を支配してしまうことさえあった。
 もやもやした頭の中を、のたったりくねったりしながらゆらゆら移動していく黒い点。脳裏に描かれたその光景は、つまりは水中の魚が見る世界だ。彼はその時、自分を魚に同化しているのだ。その思い入れが強すぎると、しばしば自分がほんとうに川底に潜む魚になったような気がして、まるでとりつかれてしまったように、脳裏の中の黒い点をいつまでもいつまでも追い続けるのだった。
 脳裏がもやもやとして、その中を黒い点が一つ、フワフワと流れてゆき、それをひたすら目で追ってゆく――そんな状態を、彼は釣りをしている最中だけでなく、それ以外のフトした日常生活の中でも追体験してしまうことがある。
 たとえば、会社の退屈な会議のさなか、あるいはトイレの便座に腰掛けている時、ベッドにもぐり込んで眠りにつこうとする時、外回りの仕事の合間に公園のベンチでぼんやりしている時……、そして今も、そうなのだ。朝の満員電車。その中で、手足を四方の肉塊に拘束され身動きできず、目のやり場もなく、ただじっと、天井から垂れ下がる中吊り広告など、読むともなく見つめて揺られ続けている時。
 脳裏に黒い点がフワリと浮かんで、他のことは何も考えられなくなってしまうこの状態。それがもっとも多く発生するのが、朝の通勤電車の中だった。
 彼は天井をじっと見つめていた。そうすると、いつのまにか、黒い点は脳裏を抜け出し、ほんとうに車内の宙空にゆらりゆらりと浮かんでいるのだった。彼はその黒い点をじっと凝視しながら、魚になった口元を、小さく動かす。
「アイム・ア・フィッシャーマン……アイム・ア・フィッシャーマン……アイム・ア……」
 彼は呪文のように、微かにそう繰り返し呟いていた。声にならない声で。
 ――僕は釣り師だ。――
 彼はそう言いたい。ほんとうは彼は声を大にしてそう言いたいのだ。
 けれどもその文節は、
「アイム・ア・フィッシュマン」となってしまいそうで、彼はそれが怖い。どうも、自分の呟きが言葉になるたびにそう転化してしまうような気がして、それで彼の呪文は、いつまでも終わることがないのだ。
「アイム・ア・フィッシャーマン……アイム・ア・フィッシャーマン……僕は釣り師だ……アイム・ア・フィッシャーマン……」
 通勤電車は、やがて彼を、人々が殺人的なスピードでテレビのサンドノイズの粒子のように蠢く朝の都心のホームへ投げ出すだろう。それまでは、この呪文が、彼を守ってくれる。どうにか、守ってくれるはずだ。