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fig.1 パシフィコ横浜に吸い込まれるビジネスマンたち

 いまだニューヨークの世界貿易センタービルに2機の旅客機が突っ込む前の、嘘のように晴れ渡ったある初秋の一日、横浜トリエンナーレの第一弾の周遊に向かった。とても1日では全体を見切れないのは明らかなので、とりあえずは運河を境にした北半分、パシフィコ横浜を中心とするMM21界隈のみの観覧とあらかじめ決め込んで足を運んだ。

 平日であったせいか、全体に周辺は閑散としていて、自分好みののんびりとした美術散歩の一日を予感させたが、それにしても、最初に向かったメイン会場のパシフィコ横浜に吸い込まれていく面 々の圧倒的多数が、スーツ姿のビジネスマンであったのには面食らった。

 いくら平日とはいえ、こんなに熱心にビジネスマンたちが美術の秋を堪能しようというのか、と、驚きつつも私も彼らの後について中に入ろうとしたその時、入口の看板が目に入り、ハタと足を止めた。すでに確かな名称は忘れてしまったが、そこは「国際商取引云々」なる別 の催事会場の入口だったのだ。

 さて、肝心な横トリの会場入口に吸い込まれる人々の数は、前者と比べれば誠にわずかなものであったが、しかし場内は学生風の若者を主体に平日の割りには予想以上の「程よい」賑わいを見せていた。

 会場を巡りながらまずなによりも思ったことは、この日本初の大規模な定期的国際展に対する事前に耳する様々な批判的風聞にたがい、正直なところ、こういう展覧会っていいもんだなあ、という素朴な感想であった。というのも、どの作家もひとしなみにブースを与えられ作品がちりばめられたこの空間は、まるでデパートの中を経巡るような気楽な気分を観客に与えるからだ。一応はこの第一回横浜トリエンナーレにも「メガ・ウェイブ――新たな統合へ向けて」という分かったような分からんような名称が添えられているが、実際には、いわゆる確たるテーマを唱って「統合」された展覧会とはずいぶん趣が違い、各人各様、作家個々人の現在進行形のテーマが、テンでバラバラに主張しあっている風情がある。その雰囲気が、有名無名関係なく、とにかく自分が気に入った作家・作品に出会えればいいんだ、というある種の解放感を観客に与えてくれる。草間彌生なにするものぞ、という気分を与えてくれるところがいいのである。

 さて、ここから先は、そういう気分に則った、しがない一鑑賞者の選り好みによる独断的感想に過ぎない。おそらくこの展覧会全体を見渡した客観的評価などおよそ不可能であろうし、仮にそれが出来ても、たぶんそれは結局何も見えてこない、つまりは一番つまらない展評にしかならないだろうと思うのだ。



fig.2ケ 会田誠 《ジューサーミキサー》 2000-2001年
290×210.5? カンヴァス・アクリル絵具


fig.3 《ジューサーミキサー》部分拡大図

 そういう心構えでこの会場の作品について語る時、もちろん草間彌生の相変わらず強迫神経症的シルバーボールの無限増殖空間や、遠藤利克の一筋の水線が生み出す禁欲的で崇高な物質空間は「美術作品」としてやはり印象に深い。あるいは、マッサージ機に横たわり花火型のイルミネーションを見上げるという徹底的に直接的生理的「癒し」を提供する蔡國強の「花火大会――天から」や、孫原・彭禹共作の人間の脂肪から作った石鹸タワー、あるいはただデカイだけ、デカさという概念の導入によって単なる魚釣りのルアーを人間釣りの作品に変容させてしまったホアン・ヨン・ピンの作品、はたまた近年閉館した鳥羽国際秘宝館のエログロナンセンス空間をそのまま移築した都築響一の作品などに、私は興味をそそられた。

 その他、現代美術の「パワフルさ」を伝える作品は少なからずあったが、しかしそれらの中で、私が一番その場所に長く足を止め、その空間の中に浸る快楽を堪能させられたのは、スイス人の作家ピピロッテイ・リストが創出するビデオ・アート空間「関連しあう脚(横浜たんぽぽ)」であった。この作家の作品は、我々が映像に対峙する際の悦びが、いかに眼球のスリリングな運動による生理的快楽に拠っているのかを思い知らせてくれるのである。だが、それを知るためには、一瞬の通 り過ぎては困難だ。相応の時間をこの作品に費やさねばならない。

 一方、まさしく一瞬の通 り過ぎで観る者のツボをギュッと押さえるのが、アデル・アブデスメットの「アデルは辞退した」である。これまで裸体やドラッグなどを駆使して合法・非合法の端境を表現の場としてきたアルジェリア出身の若き女性の今回の作品は、ブースの片隅に一個のモニターがポツンと置かれ、他にはただ白い空間があるだけだ。だが、そのモニターからは、アップで映し出された作家自身の「アデルは辞退した!」という一瞬の叫びとそれに続く数秒間の哄笑が、ひときわ会場に響き渡りつつ際限なく繰り返されているのである。出品を辞退したというその主張そのものを作品化してしまうという、まさに究極の芸術と非芸術の端境といえるこの作品は、しかし私に、作品意識に気合の入った展示が横溢する会場の中にあって、一服の清涼剤のような快さを与えてくれた。理由も何もない。ただ「辞退した」と叫び高笑う。では、なぜ辞退したのか? それはあなたが考えなさい、というところから、もう一度会場を見直した時、他の作品がまた別 の見え方をするかもしれない。そのことでこの作家のこの表現としての営みは完成するのだろう。しかもこの作品が、敢えてこの会場の展示ナンバーの1番となっているところも企画者側の挑発性を感じて悪くない。それにしても、この究極の表現は、いわば車寅次郎に倣えば「おいちゃん、それを言っちゃあ、おしまいだよ」的な二度は効かない奥の手ともいえるだろう。その意味で、誠に貴重な機会に遭遇できたことを喜ばしく思うのだった。


fig.4〜8 あれか?これか?





 圧倒的に海外の作家の出品が多い中で、この会場で私が一番惹かれた日本人の作家は、会田誠だった。自らのブースを囲む壁に書かれたパンチラ俳句や自殺未遂マシーンの人を食ったようなビデオ作品に、これまたこの大々的な国際展をコケにするような悪意が漲っているが、なんといっても中央奥の壁に堂々と飾られたルーベンスばりの細密な描写 を駆使した大作のタブロー「ジューサーミキサー」は圧巻である。

 私は思わず「うーん、いいねえ」と唸ってしまった。しかし唸った後で、思えばこの会場にこれほど素朴にチープな表現もないことに気づき、そんなチープなものに真面 目に感心してしまっている自分に少々後ろめたさも感じる。けれどもその後ろめたさは、自虐的な愉悦でないとはいえない。チープといえば、敢えてローブローなアニメチックでサブ・カル的モチーフを取り入れた作品は他にも数々ある。だがそれらの大半が戦略としてそれを取り入れているいう作為性が感じられるのに対して、会田のこの作品からは、むしろ少女への「サディスティックな愛情」が朴訥と滲み出ているのである。その意味でこれは、正面 切った古典的タブローである。そこに、作品としてしみじみ鑑賞してしまうわけがあるのだ。この作品を米国同時多発テロ以後に観たある教育関係の人が、あのテロの悲惨さを思い出して吐き気がするほど不快だったと言った。それほどの不快さを与えたということは、まさに作家の勝利といえるだろうが、しかし、あの事件とこの作品を取り混ぜて引き比べ、そしてそのことを理由にこの作品を否定するとしたら、それは社会性による美術の敗北を認めること、なにやら道徳・倫理による検閲の臭いが漂うではないか。無論、不快感を感じるのは自由だし、しょうがないことだが、同時テロを引き合いに出して作品が否定されるとしたら、それは悲しいことである。

 パシフィコ横浜を出て、会場で配布されたパンフレットの地図を片手に、周辺の屋外展示を見て回る。さまざまな美術の概念を脱臼させた作品をパシフィコ会場ですでに多く見てきた者にとって、周辺の展示作品の中でもっとも印象深かったのは島袋道浩の作品であった。島袋の作品は臨港パークの中にある。地図を頼りに目星をつけて探し回るがなかなか見つからない。あれか?これか?と疑惑を抱きつつ公園の中のさまざまなものに非日常的視線を照射させた結果 が以下のいくつかの「私の」作品である。

  だが、散々探しあぐねてそろそろあきらめかけた頃に、ようやく発見したそれは、なんのことはない、それに気づくまでになんどもなんども目の前を通 った物体であったのだ。だが、その物体の向こうには、抜けるような青空のもと、海原が広がっていた。その作品と空と海とが一体になった光景が眼に飛び込んだ刹那、「現代美術って今、けっこう開(ひら)けてるじゃん」と、私の心がふと温(ぬ る)く溶解するような思いにとらわれた。それは、島袋の作品が、作者の狙い通 りに私の心を射抜いた瞬間であったのだろう。(ただし、この思いに達するには、クイーンズスクエアの中を事前に通 った後では遅い。なぜなら、そこには島袋の同種の作品が展示されているので、この公園でもすぐに彼の作品を発見してしまうに違いないからだ。だから、ぜひクイーンズスクエアを通 る前に臨海パークに足を運んでもらいたい。また、この展評で作品を見せてしまったらやはりこの貴重な体験は味わえないので、これから横トリに行く人のために、この作品の写 真も、また作品名も、ここには敢えて載せないことにした。)

 

 

その2 サウス・サイド編へ

 

 

「横浜トリエンナーレ2001 メガ・ウェイブ――新たな統合に向けて」

2001年9月2日〜11月11日
会場:パシフィコ横浜展示ホールC・D
赤レンガ1号倉庫
まちづくりギャラリー
みなとみらいギャラリー
横浜開港資料館
神奈川県民ホールギャラリー(8/25〜9/15)
横浜市開港記念館(8/29〜9/9)
その他周辺屋外設置

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