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text/ 高梨 晶
 
こに始められようとしているのはマンガを巡るコラムである。もちろんマンガと言っても、少年マンガ、少女マンガ、青年マンガ…と読者層を元にした分類や、ストーリーマンガ、ギャグマンガ、あるいは劇画などその内容面 からの分類もあり、つまり多岐にわかれてはいるが、ここではあらゆるマンガを対象に取り上げていきたいと思っている。
 また、ここには複数の筆者が存在する。(「高梨・T・晶」とイニシャルが入っているのは、例えば藤子F不二雄の例を想起していただけるとわかりやすいかと思う。)と言うことは、あらゆる潜在的筆者が参加する可能性を持っているということになるだろう。それはつまり、これが「開かれたマンガコラム」であることの宣言と同義である。
 さて、その第1回としていかなる作家いかなる作品を取り上げるかは頭の痛いところではあるが、とりあえずたなか亜希夫を取り上げてみたい。たなか亜希夫から始めることの戦略的意味などない。敢えて言えば、個人的な愛着ということになろうか。
 現在たなか亜希夫はアクションコミックス(双葉社)から『軍鶏』という作品を出している。原作は橋本以蔵。
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   編  こ    
   集  ん    
   者  な    
   も  も    
   き  の    
   っ  を    
   と  載    
   よ  せ    
   ほ  る    
   ど  雑    
   業  誌    
   を  も    
   煮  雑    
   や  誌    
   し  だ    
   て  が    
   い   `   
   た       
   の       
   だ       
   ろ       
   う       
    ゜      
はたなか亜希夫がデビューした頃のことを今も忘れられない。小池一夫が主催するマンガ塾の出身で、『下北沢フォービートソルジャー』という作品でデビューした。(初版は1983年だが絵の感じからするとそれよりもずっと前に描かれたもの。)下北沢のジャズバーのあんちゃんの話で、絵はまだ雑だったが時折見せるその絵のセンスはただ者でないことを感じさせた。
 私は、雑誌で彼のマンガを見つけ、とても大きな掘り出し物を見つけた気分だった。「近代麻雀オリジナル」「プレイコミック」「ヤングコミック」などの雑誌で描いていたが、とにかく「原稿落とし」の名人だった。当時の切り抜きを見ると、途中で途切れている連載が如何に多いかがよくわかる。「ヤングコミック」には載った「一向聴ぶるうす」という作品などはタイトルページを入れても4ページで、ちょんぎれている。これは冗談ではない。本当に4ページ分しか載っていないのだ。こんなものを載せる雑誌も雑誌だが、編集者もきっとよほど業を煮やしていたのだろう。それでもあちこちで描いていたのはやはりその才能を買われてのことだ。実際、この頃の絵は格段に格段に巧くなっていた。
らかに大友克洋の影響を受けていた。もっとも当時の多くの作家が大友の影響を受けていたのだが。小池一夫の塾から出てきたとは信じがたい作風だった。小池一夫はとにかくキャラクター主義で、如何にキャラクターを「立たせる」かということが作品の成功の鍵だと説く人である。確か高橋留美子もこの塾の出身ではなかったか。あるいは原作者の狩撫麻礼。この人もどう見ても小池一夫流マンガ作法の対局である。たなかも狩撫もこの塾の1期生か2期生だったと思う。
 これも確か4話くらいで終わりになっているが、プレイコミックに載った「ビールをもう一杯」など明らかに大友克洋の影響下にあるが、躍動感があってとてもいい作品だと思う。しかしどれも途中で終わっていて、単行本に収録不能なものばかり。今となっては再読することができないのが残念だ。どこかの物好きな出版社が、たなか亜希夫不完全作品集とでも銘打って本を出してくれないかな。そんなことをやれそうなのは双葉社くらいかな。
 それから『侍・にっぽん』という作品を書いた。短編集で、脈絡のなさが魅力的だった。自分でも何を描きたいのか見極められず、才能だけが一人で走っているという印象だった。
 その後の彼は、原作を付けるようになった。もしかしたらそれは彼の意向というよりも雑誌社の編集者の意向だったのだろう。締め切り前に逃げられないようにあの手この手をうっているのかも知れない。『ボーダー』(原作狩撫麻礼)、『南回帰線』(原作中上健次)、『クラッシュ!正宗』(原作小林信也)。いずれも原作付きだ。そしてどれも長い作品だ。安定した書き手になった。
 だけど私は彼のめちゃくちゃな初期が懐かしい。あの、これからどこへ向かっていくのかわからない、もちろん彼本人にもわからないエネルギーは、原稿を仕上げる前に逃げ出すという行為の中で、何かを主張していたような気がしてならない。現在の彼の作品も悪くないはないが、違った生き方をすれば、もっとすごいたなか亜希夫があったかもしれないという思いはいつも消え去らないのである。 (高梨・T・晶、00/11/13号)

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   本  た  ど    
   を  な  こ    
   出  か  か    
   し  亜  の    
   て  希  物    
   く  夫  好    
   れ  不  き    
   な  完  な    
   い  全  出    
   か  作  版    
   な  品  社    
    ゜ 集  が    
      と   `   
      で       
      も       
      銘       
      打       
      っ       
      て       
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