特集 塚本敏雄
 



 塚本敏雄を思い出すと、いつも川のせせらぎの音がする。それは例えば、第1詩集『花柩』(1993思潮社)にあったこんな詩句の印象から来るのかもしれない。
 
  私は傘をさして
  水辺に立っていた
  砕石船が水のうえに浮いている
  川ともつかず海ともつかず
  ここには
  漁をするひとびともいまはなく
  (どこへいってしまったのでしょう)
  おそらくは風が(おそらくは潮が)
  水の紋はいつもおんなじ調子で
            (「風の塩」)

 いや、そもそも、俺が塚本とともに時を過ごした場所は、どこも川の近くだった気がする。早稲田の神田川、江古田の明神寺川(だったっけ?)。彼の郷里近くの土浦で酒を飲んだときも何か川が近くを流れていたし、ごく最近京都で飲んだときも鴨川と高瀬川のあいだの先斗町だった。
 もうひとつ、川の思い出がある。あれは大学3年だか4年の頃だな。塚本にさそわれて、多摩川のほとりの六郷土手で、深夜の工事現場の警備員のアルバイトにいっしょに行ったことがある。国道1号線が多摩川を越え、東京・大田区から川崎に至る六郷橋という橋を架け替える、大規模な工事だった。
 俺たちが働いているわきを、それこそ光り輝く大河のように国道の車の流れが過ぎていった。近くにバッティングセンターが見えていた。
 深夜の仕事は、ときに高揚した気分に人をさそい、またときには時間の経過の遅さがもどかしく感じられるほど退屈なものだ。塚本は、自分の警備の持ち場を離れて、俺としばらくムダ話をした。そのあと彼が警備の場所に戻ったとき、アクシデントが起きていた。
 ライトが煌煌と照らされ、そのなかで一台の工事用車両が溝に脱輪して斜めにかしいでいた。声が飛び交っていた。塚本は、別に誰も彼を叱る人はいなかったが、自分が持ち場を離れていたあいだに起きた事故に責任を感じて、青ざめていた。うろたえた彼は頼りなげで、少し子供のように見えた。

 川といえば、もちろん塚本の郷里の常陸国を流れる荒川をあげなければならない。その周辺に何度か仕事で行ったことがあるが、いつもバサバサと風の音がしているような土地だった。「塚本の詩の国にいる」と俺は思った。
 関東平野といえば、荒川と並んで、坂東太郎と呼ばれる利根川が有名だ。そう、塚本はまさに坂東の男であった。
 早稲田大学文学部の04番教室(いまや封印され抹消された教室)で、ジャガイモをごろんと転がしたように塚本はいた。ヒゲの剃り跡がいつも青々としていた。そういえば、『リーブズ』にもヒゲのことを書いた詩があったな。初めて会ったときはよれよれのトレンチコートを着ていた気がする。
 そのころの俺たちはみんな気負いがあって、口が達者だった。読書会のときなど、彼はそのなかでいつも自信なげに口ごもりながら話した。どちらかというと、そんなおしゃべりの輪から外れて、彼はどこかに行ってしまいたそうに見えた。
 
   〈ねえ ほんとうは
    いつかまた
    どこかへ行ってしまうんでしょう〉
 
  もの思いにふけり始めたぼくの肩を
  突然妻が揺らす
 
    いつかここに現れたときと同じように
    ふいと消えていなくなるのでないかと
    妻はときどき悲しそうな顔をして
     ぼくの顔をのぞきこむ
          (「異郷にて」『リーヴズ』)
 
 そんなとき、塚本が柔道の黒帯であることを誰もが忘れていたのは幸いである。彼は、その気になれば04教室に集まる生意気な俺たち全員を腕一本で投げ飛ばすことだってできたのだ。忘れてはならないが、意外なことに彼は格闘技の人であり、格闘技系の詩人なのである。
 そんな塚本が、第2詩集を出した。数十年にわたる言葉との長く、粘り強い戦いの成果である。あの日々、あの教室でいちばん寡黙だった詩人が、いちばん長く歩き続け、いちばん遠くまでいくことができた。そのことに感銘をおぼえる。
 
  絶え間なく
  水が流れる音がする
  時には遠く時には近く
  水禽の鳴き声が
  わたしたちのまどろみを横切り
  燭台の火は鈴のように揺れ
  指先はつねに虚空を掻く
        (「相貌」『花柩』)

  余談になるが、『花柩』と『リーヴズ』はかなり意識的に異なる方法論で書かれているにもかかわらず、ところどころに同じ詩語が使われている。冒頭の「風の塩」に使われていた「砕石船」という言葉もそのひとつ。「異郷にて」でも使われている。また、「遠くから棒飴のように伸びてくる」という奇異な比喩も両方に使われている(『花柩』は「暦」、『リーヴズ』は「消失」)。ふつう棒飴って遠くから伸びてくるかなあ。どこから彼はそのイメージを手にしたのか聞いてみたい。