第11試合 スーパーファイト K−1ルール
3分3R・延長1R魔裟斗(日本/シルバーウルフ)
○2R 1分43秒 TKO ●
川尻達也(日本/T−BLOOD)

完勝と言ってよい。普段、魔裟斗には点の辛い筆者であるが、今回は良かった。改めて強いな と実感した。川尻達也との対戦が決まった1カ月前、この試合に負ければ、大みそかを待たずに引退する意向も表明したが、それも単なる話題作りであった。ただし、川尻は総合格闘技の選手であり、彼のようなトップクラスであればあるほど逆に、その筋肉組成は総合格闘技へと専門化されている。異種格闘技戦であればまだしも、身につけた動きを規制される慣れないルール、K−1のリングというアウェイの試合では、圧倒的に不利である。

パンチの破壊力は指の第二関節(掌に近いほう)を曲げる力に依拠している。グラップラーはその競技の特性上、グラップリング技術を高める必要があり、おのずと握る力が強くなる分、その拳は重く威力がある。

一方、ボクシングやK−1など立ち技系の選手は、バンテージを巻き、グローブをつけて拳を保護するため、逆に拳を握る力が弱い。従ってパンチそれ自体の威力はないのだが、打撃の際のテクニカルなメソッド及びコンビネーションによる連打によって、それをカバーしている。

総合格闘家の筋肉は自分の体側にひきつける力を瞬間的に爆発させるよう鍛えられており、この筋肉の鍛錬はパンチを打つためのメカニズムとは真逆である。従って、総合格闘家のパンチは一発一発が重く威力はあっても、そもそも当てる技術が低い上、たたみかけるような連打もない。意図的な正面からの打ち合いにさえならなければ、魔裟斗有利は動かないのである。

2008年12月31日 さいたまスーパーアリーナで開催された『Dynamite!!〜勇気のチカラ2008〜』では、DREAMの総合格闘家がアウェイのリングで、K−1ファイターにK−1ルールで挑戦するという、無謀な3試合が行なわれた。ところが、結果はDREAM側の3戦3勝 3KO勝ち。川尻が武田幸三を右ストレート、跳びヒザ、左フックで3度倒してKOしたのを皮切りに、アリスター・オーフレイムはバダ・ハリを、K−1ルール初挑戦のゲガール・ムサシは本家・武蔵をKOした。

しかしこの興行はそもそも年末のお祭りである。K−1ルールで開催された関係上、試合をスリリングなものにするため、谷川貞治K−1イベントプロデューサーあたりから、あえてK−1ファイターにインファイトが要求されたのではないか? と思われる。でなければ、K−1ファイターがK−1ルールで、枕を揃えて討ち死にということはありえない。魔裟斗は終始、試合を自分の距離で戦っていた。この距離感こそが魔裟斗の真骨頂であり、あのペースで終始、闘われては、さしもの川尻でも戦いようがない。まして、K−1の本当の怖さは下から襲って来る蹴りである。上と下からコンビネーションで揺さぶりをかけられては、蹴りを捌く技術を持っていない限り、どうしようもない。実は川尻も良いヒザ蹴りを持っているのだが、この試合ではそれが上手く出なかった。魔裟斗にすればパンチ(上)に集中できた分、自分の距離を保つことが出来、それが試合をコントロールすることになったのだ。

この試合、そもそも川尻が武田を倒した実績とその後のマイクアピールから実現したものであったが、K−1世界MAXトーナメント本戦が始まっている関係上、対戦相手に強さよりも話題性を優先した観は否めない。この試合で魔裟斗が負ける要素はなかったが、それにしても1R終盤の時点で、すでに勝負を決めてしまっていた速攻には、かつての魔裟斗の甘さは見られなかった。現役の時もあれくらい頑張れば良かったのにと思われて、残念だ。この距離感を失わない限り、魔裟斗が簡単に負けることはないだろう。残すところ大晦日の一試合だけだが、本年度のK−1世界MAXの優勝者と戦って壮絶に散ってもらいたいものである。(2009/7/16記)

魔裟斗よ 壮絶に散れ!!

2009年7月26日号掲載
魔裟斗よ 壮絶に散れ!!

[猟格プロ日記]
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魔裟斗よ 壮絶に散れ!!
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猟奇的な日記〜フィールドワーク編!!
猟さん見聞録〜敗戦記念日直前
戦跡レポート[高射砲住宅]


旧陸軍高射砲台住宅を見てきた。

高さ約5メートルの鉄筋コンクリート製砲台6基と弾薬庫からなる高射砲陣地は、太平洋戦争中の1944(昭和19)年に完成した。陸軍の代表的な火砲“88式7センチ野戦高射砲”6門を備え、柴島浄水場や淀川区十三の工場地帯など市北部の防空任務にあたったという。その名残がここにある。

閑静な住宅街の中に、そいつは忽然と姿を現す。黒ずんだコンクリートの角張ったその姿は、本当に異様というしかない威圧感であたりを睥睨している。おそらく高射砲の砲身が突き出されたのであろう四角く削られた部分が、かつてのこの場所本来の姿をリアルに思い起こさせる。グーグルの地図で検索してみると、見事に12角形の物体が描写されており、ストリートヴューを見ると、しっかり画像でも映し出されている。

こういうものが、普通の住宅街の中にごくごく当たり前のように存在しているのを、不思議というのか、そこがまた大阪だなぁ と思うのか は、それぞれ個人の感性によるのだろうけれども。

ブツは全部で3基、残っているのだが、2基の間を人や自転車用の小道が通っており、付近の住民は生活道として、近道としてごくごく普通に利用している。もはや彼らにとっては、当たり前の風景になっているのだろう。このブツを特に珍しげに見ることもない。

下司な興味として、一体全体、住民票はどうなっているのだろう と思うのだが、壁には番地を現すプレートも打ちつけられており、特段の問題もなく、住居として利用されているようだ。

この高射砲住宅、インターネットで検索すれば、かなりのサイト数がヒットするのだが、それによると“開通予定の都市計画道路「十三吹田線」(総延長4530メートル、計画幅員25メートル)の着工を前に、住民への立ち退き交渉を開始した”“せっかくの戦争遺跡なのだから、なんとか保存できないものなのか”といった記述が目立つが、見たところそのような工事も中断されており、バイパスにはぺんぺん草が繁っていた。

いずれにしても、このブツは出来るだけ早く自分自身の目で確認した方が良い。沸々と湧き上がる静かな興奮が、誰かに話さずにはいられない不思議な高揚感をもたらすこと請け合いである。これこそ、大阪真空地帯探訪の醍醐味である。

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