w r i t e r' s p r o f i l e
愛媛県の会社員です。
三十路が近くなり、未だ独身である事に危機感を持っています。


today's theme...
歯医者へ
行かなくなって15年。

酔うてはテレビのスノーノイズで早朝4時頃に眼を覚ましたり、前歯の裏が茶色いのは珈琲を湯水の如く飲むせいだろうし、性欲が段々なくなってきたのも、下腹が若干出てきたような気がする事も、結局のところ、三十路が近くなってきたからと言うより不摂生が全ての【諸悪の根源】のような気がする。

 というわけで、明日から急に生まれ変わる事は出来ないと思い、まずは歯を治療する事から始める。さっそく、近所の歯医者へ予約を取りつけるが、15年は歯医者へ行っておらず、歯がどんな悲惨な状態になっていようか不安で一杯である…


 当日、受付を済ませて、待合室の長椅子で腰掛けていると、何やら香ばしい匂いがエアコンの強風に乗って私の鼻に入ってきた。決して香水の匂いではなく、悪臭それも刺激臭である。体臭と加齢臭と口臭を足したような。臭い。臭い。臭い。臭過ぎる。臭過ぎてわざとらしく咳こんでやりたい。眼前の初老の大きく開けた口から逐一放出されるこの匂い。その口と全身の毛穴をパテで埋めて差し上げたい。その一方で、中年のお姉様方が空気を読めず、大音量で世間話に夢中なのはどこにでもある光景であろう。

 そうこうする内、二十歳そこそこの美しい風貌の歯科衛生士が入るなり私の名を呼ぶので、後を金魚の糞の如くついて行って、案内された席に座る。そこでしばらく待たされた後、30代後半と思われる女の主治医がやってきて、淡々と診察が終わる。今日は治療に入る前にクリーニングをすると言うと、今度は先程の歯科衛生士が隣にきた。 

 あまりに近距離で作業されるので、徐々に興奮してくるのだが、冷静を装うため天井を見つめていると、歯科衛生士のお顔が一々視界に入り気になって仕方ない。作業を邪魔してはいけないし、眼を見つめては失礼だと思い、おとなしく瞼を閉じる。

 歯垢を削る音が、幼少期の痛さのあまり泣いた記憶を蘇らせる。快適に空調が効いた室内で、昔を思い出しノスタルジックな気分に浸っている私が眠りにつくのはそう遠くないと思われたその時、頭部右のこめかみ辺りの感触はなんだろうか。それは適度な弾力と微かな温もりを持って私に触れてくる。いや、触れるというより、それを押し付けられていると言った方が正しいか。意識的に押されているのに違いないのである。私と接触している物体、それは右隣で前屈みになり作業をされている歯科衛生士のお嬢様の胸に違いない。私の全神経と全器官はそれと接触している一点に集中する。今、私と彼女は一点を介して繋がっている。言葉でも手振りでもない、肉体と肉体を接して私たち二人は確かに繋がっているのだ。

「眼を開けて下さい。」とかけられた声にハッと我に帰る私。彼女に胸を押し付けられた疑念を払拭出来ないまま車で後にする。意図が分からない。何故、押し付けるのか。しかし、単に作業に没頭していたら胸があたっただけというオチではおもしろくないし、歯医者がリピーターを確保するためのサービスなのかもしれない。もしかして1mmでも彼女に恋心がある…はずは絶対ない。


 至福の時は一瞬で過ぎ去ったが、彼女と繋がったのは事実だし、この記憶は大事にそっと胸にしまっておこう。また明日から仕事をがんばれそうな気がする。既に本来の目的であった歯の治療がどうでもよくなっている事は言うまでもない。

2007年12月31日号掲載

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