不特定多(?)数の眼に向けて設置された3冊の雑誌が結局何人に読まれたものやら、それはわからない。すぐさま店の屑箱に投げ棄てられたかもしれず、あるいは誰も手にとらぬまま朽ちていった可能性も高い。小説も載っている同人誌は詩誌にくらべて少数派だったし(これは今のウェブの状況を見渡しても同じようだ)、文芸同人誌そのものが、それをつくる活動も含めてすでに珍奇になっていた。今、ウエブ電藝のアクセス解析によれば、最もポピュラーな検索語は何を隠そう「同人」なのだが、同人誌といえばまずもって(当時は晴海の)コミケットで流通するそれを意味する時代に突入していたのである。

 と、ここまで書いたところでふと思い出したのだが、3冊の同人誌を3つの店に置いてもらったのち、ぼくたち(ぼくともう一人の書き手)は、これこれの店にいけば私たちの雑誌が読めますという「招待状」を知人も含めて送りまくったのだった。いわば同人誌を <展示> したわけで、ちょっと面白い公開のしかただったように思う。

「カザハナ」は、むろんひどい失敗作というか、何も書いていないのと同じ、書いた端から消していくような気恥ずかしい小説なのだが、「遠くは手にとるように鮮明に、手前は近くなるほど急激に希薄化する」情景について書いてみるという変な発想のもとに生まれたものである。そのような自己消去的なエクリチュールにデュラス(90年代に死んでしまって以来まったく名前を目にしなくなった。90年代にまだ存命だったことすら奇妙に思えるほど遠い存在になってしまった)ふうの <ふたしかさ> への愛着が加味され、そこで、先立って書き継がれていた「夏いちご」という連作小説の語り手が安直に起用された。この連作小説は、ジョーゼフ・ヘラーではないが、 <なにかが起こった> を中心に極度の喪失感におしつぶされる若者たち(自分が大学生だったので)のことを書いたもので、何が起こったのかはさして重要ではないとされ、説明が省かれている。

 そんな小説を書きながら、ぼくは住所をもたぬ男として新井薬師前のアパートに潜伏していた。アルバイトに明け暮らす日々だったが、どうやっても午前中に目を醒ますことができなかったので、もっぱら深夜の仕事(雑誌やマネキンを運んだり、六本木の狭い駐車場で派手な外車をパズルのように移動させたりするような)が多かった。

2004年7月12日号掲載

 

text/吉田直平