●その立ち食いのラーメン屋は一杯500円。九州式の豚骨味というのか、白濁したスープで、小拙はこの風味が中々好きである。小拙にとっては札幌ラーメンよりも九州式の方が旨い様に思う。

●で、これも九州式なのか、「替え玉」制が採用されていて、麺のおかわりが出来る。これが100円。スープを残しておけば、ユガきたての麺を皿からすっとすべり込ませて呉れる。再度、胡椒・胡麻・紅生姜を乗せれば、大盛りを食べる気分よりも上々の気で食べられる。

●「替え肉」というのもあって、200円でチャーシューの追加が出来る。チャーシュー麺が700円なので、一瞬辻褄が合う様に思うのであるが、500円のラーメンにも大きなチャーシューが二枚乗っている。小拙はチャーシュー麺を頼んだことがないので、700円で何枚なのかは今の処謎である。しかし「替え〜〜」という云い方は言い得て妙な発明である。小拙は好きだ。

●仮にチャーシュー麺にチャーシューが四枚乗っていると仮定すると、チャーシュー枚は百円、ということになる。部品の単価構成で云うと500円のラーメンは100円の麺と、200円のチャーシューが主構成し、残るスープとネギ、海苔二枚を合わせて200円。

●強者のおっさんが居て、「替え玉」を発注すると同時にスープが減ったからそれも追加をして貰っていた。それでも100円。しかし店側がそれを許容してしまうと、100円で素ラーメンが食べられることに事件は発展はしないだろうか。

●スープとネギ、海苔二枚で200円であるから、強者のおっさんがオシ戴いたオタマ一杯分のスープはおおよそ70円位の価値は充分にあるのではないだろうか。

●仮に二名一組になって、片方がラーメン(500円)を注文し、もう一人がおにぎり二個(100円×2)を注文する。最初の一人がチャーシュー一枚でラーメンを食べ、替え玉(100円)で次の者が食べる。一人400円で「ラーメン定食」が食べられる算段である。ラーメン抵触か。

●あるいはチャーシュー麺(チャーシュー四枚700円)を一杯注文し、一人がチャーシュー三枚で切り上げ、二番手が「替え玉(100円)」「替え肉(200)」を注文すれば、チャーシュー三枚入りの「チャーシュー麺」が500円で食べられる。

●しかし、「替え」である以上、食べる人間の方が替わっては、追加の100円で、どんどんとラーメンが食える。追加のスープさえ許されるのであれば、半永久的に100円で食い続けることが出来る料簡である。しかし実際に「替え」が効くのは「玉」か「肉」であって、人間が替え玉をすることはご法度なんであった。

●麺が一玉100円でチャーシュー一枚が同額であれば、麺の方に実質価値がある様に思う。チャーシュー麺の値段で替え玉が二回できる。「ちび六」ラーメンを一気に使い切る位の特盛分量になるのではないだろうか。

●滋賀・長浜の「ダイソー」という100円ショップへ行った。拙宅の付近にはチンケ(失礼)な百円店しかないので、「いつかはダイソーへ」と夢見ていたのである。

●ありとあらゆるものが100円で売られていて、レジは楽である。驚いたのは、包丁も電球二個セットも100円であったところだ。小拙は落語のCDを4枚買った。4枚で420円。

●杖が100円にも驚いたが、物干し用の竹竿が100円であった。竹竿を三等分すれば杖が三本出来る。麺の替え玉一個分と杖三本が同額のこの国の経済をどう建て直したら良いのか。


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