●井上陽水の「限りない欲望」(1972)という歌では、欲というものの本質が描かれている。ずっと欲しかった白い靴をようやく手に入れたが、靴屋にはもっと素敵に見える青い靴があったという話。

●そのタイトルのままに欲(望)というものは、本質的に無限であるのかも知れない。広辞苑によると【五欲】は、「財・色・飲食・名誉・睡眠」で、【六欲】は、「色欲・形貌欲・威儀姿態欲・語言音声欲・細滑欲・人相欲」なのだそうだ。

●基本的にどれも誰もが欲しいものであることに変わりないし、飲食や睡眠などはなければ生きてゆけないものでもある。しかし、人間には生まれ育った相応な「本分」というものを知ることが、幸せへの第一歩なのではなかろうか。

●五欲にも六欲にも色欲は入る。人間から色気が無くなったら終わりなのかも知れない。気を付けることとしよう。

●電車内の人々の顔を見ていると、ことごとく殺伐として不幸せそうな顔をしている。欲が満たされない感情なのか、自分には「幸せ」など縁遠いと考えているのか。とにかく口角が下がり、汚らしいオヤジが居るな、と思ったら己の顔がドアの窓に写っていた。

●欲は無限に続くので、例えば金銭とか自動車とか家などの自分が欲しかったものが仮に手に入ったとしても決して幸福にはなれないのである。本来であると、現在の日本でそこそこの生活をしていること自体で充分に幸福なのである。他の諸国の事情を全然分かっていない贅沢な不幸感である。

●しかし、テレビのバラエティ番組を見過ぎているので、ブラウン管の向こう側にあたかも幸福な何かがあるものと錯覚するのである。ブラウン管の向こう側には、五欲或いは六欲以外のものは無く、それ以上のものも無い。それ以前になぜそんな見え透いた嘘に騙されるのであろうか。

●幸福とは幸福と思える自分であるかどうか、というところに宗教も重きを置く。それが自分の内側になければ、何かが手に入ったところで決して芯から幸福であるとは思えないのである。

●人間の苦しみは、四苦「生・老・病・死」、八苦「四苦+愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」であるという。生まれてきたことや、生きることも死ぬこと同様の「苦」であるというのは中々に哲学的である。

●しかし、「生」が苦であるというのは真理である。世の中の最高の極刑は、何千年、何万年にわたって絶対に死なせないものであると思う。若し「不死」というものが可能になればそれは絶対に極刑に使用される。

●そういう意味では死というものが、少し違う視点で見えてくる様に思う。死刑囚が比較的安らかな最期を送るのに対して、無期囚の最期は概ね悲惨だ。

●だからといって、自殺は許されない。生の放棄は、せっかくの権利放棄であって、大変に勿体ないことであるからだ。

●電車内の殺伐としたつまらなさそうな人達の苦悩は、「仕事が詰まらない」「金がない」「女にモテない」「ウダツが上がらない」「養命酒を飲んでも身体がだるい」という単純なものでは決してないだろう。これは小拙自身の苦悩であるからだ。そんなことでは皆の顔はあそこまで(どこまで?)歪まない。

●電車に飛び込んで「人身事故」を引き起こして自殺する人が多い。飛び降りと飛び込みは自殺の方法としては比較的上位のもので、確実性は高いが、後の処理が大変だし、ダイヤが乱れるのでやめてほしい。

●年間自殺者三万人の受容と新たな価値を見いだせるシステムが必要なのではないだろうか。自殺を決意した人がとりあえず訪れる場所が。自殺者とは関係ないが深沢七郎の『楢山節考』はやはり古くて新しいテーマを素材にしたものだと今更ながら感心する。


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