●小拙は今更ながら人間の「手」というものの重要性に気付かされている。地球上の文明というものは、ほとんど全てのものが人間の手によって成されたものであるからだ。文化には手が無くとも築けられるものもある。

●以前、大学の同輩の結婚式に参列した。そいつは、知的(?)障害者の施設か何かで教員みたいなことをしていて、その職場の同僚同士で結婚した。新郎新婦二人のエピソード紹介みたいなことを、スライド写真を使ってやった。主に職場の仕事ブリが写ったものであった。

●司会もそこの同僚が務めたが、全ての写真にコメントを付けた。「彼は手が出ていませんね」とか「彼女は手が動いていませんね」はたまた「こいつは手が下がっていますね」というコメントだった。そこで働く人の手が動いているか、上がっているか、が基準の全て、という印象を受けた。この仕事に関しては、手が動かなければはじまらないのかも知れない。

●みんなが整列した集合の記念写真があって、そこに腕を身体の後ろに組んでいた青年が居たが、やはり司会の彼に強烈に指摘されていた。小拙はこの職場は中中に良い職場だな、と思っていた。

●口先で何を云っても良いが、自分の身体、特に手を使っているかどうか、ということは、生産や創造の現場に於いては大変に重要なことである。恐らくそいつの職場だけの話ではない。その意味では考古学現場に群がる閑人の心理が判る。

●仮に一日、手を使わずに仕事をする、という罰を受けた場合、口頭で誰かに指示をして自分の手の代わりをしてもらわなければいけないことになる。隻腕の漫画家・水木しげるのアシスタントは彼の片腕である。

●人員が必要な場合「ヒトデが要る」という。まさかそんな時に五本足の海星が来ても嬉しくない。人で無い場合は猫までは許される。「猫の手も借りたい」のであるから。本当の猫の手は孫の手の代用位にしかならない。血は出る、が。

●その雇い主は、一時的に「人手」が欲しいだけであって、顔も頭も、どっちかと云えば身体も要らない。そんなものは糊口や保険などの余分がかかる。だから人件費の安い中国人やイラン人が日本で働き口を得ている。中途半端にムダな口も叩かれずに済む。

●技術や芸術、医術と奇術、剣術に手術。概ね「術」の付くものは手を使うことを主としている。小拙を筆頭に、これだけ大人が何も出来ない時代では、手に職を持つと社会的にも安定した地位が得られる可能性が高いのではないか。

●同じ術でも読唇術、占星術、腹話術、魔術、話術、などは目と口があればイケる。仮にも五体満足な小拙はもっと「術」を習得しなければいけない。中学時分に使っていたハンダゴテは人手に渡ったのか、今はもうない。

●こうなったら、ハンダゴテやら電子ブロックやら、アナログ式短波ラジオやら、鋸やら砥石やらが欲しい。機械ではなく道具が欲しい。ナントカと鋏で、道具は手の延長として使いこなさなければ意味をなさない。使えると愛着も生じる。電子ブロックは復刻版を比較的最近入手した。

●機械まかせにするのは面白くない。速く出来ることが価値ある時代から、わざわざ手をかけてゆっくり作ったりおこなったり、食べたりという事が価値を持つ時代に入っているのではないか。というか、英国貴族はそういう一見怠惰的にも見える生活から狩猟やゴルフやサンドイッチなどを発明したのではあるまいか。18世紀あたりの文明進化度文化社会が人間性を高めていたのかも知れない。

●日本人は箸を使う。箸術の免許皆伝国である。京都にある極細竹箸に触れると、日常の道具でありながらそのあまりの繊細さと民芸美に目眩がする。小拙は箸の使えない人とは食事中に喫煙する人間同様、同食同衾は遠慮させて戴きたいと平生より考えている。

●小拙の主たる執筆・通信手段である携帯ワープロ「富士通オアシスポケット3」は、今のコンピュータから云わせたら、機械ではなく立派な古典道具級の代物器械である。なんせ黒白一画面8行で速度が1200bpsなんだから、あなた。メンテは2006年で終了なんだそうだ。十年以上毎日使っているので、ヒンジがガタガタである。

●ヤバい。ハンダゴテや砥石を買っている場合ではない。オアポケ3のデッドストックをゲットしなければ。これだけは手だけでなく口も八丁延ばさねばならぬ。


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