●藤山寛美は娘の直美に「普通の父親では日本一の舞台の役者にはなれないので、それは知っておくように」云ったそうだ。父親・稲垣完治は、家族旅行や遊園地などその生涯に数えるほどしか行っていない。

●日本一の喜劇俳優とマイホーム父親との掛け持ちなどは、藤山寛美を見る限り絶対に無理だ。家族は大変であるが、松竹新喜劇が大阪・中座で連続公演記録を達成したり、リクエスト公演という普通舞台では考えられない事をやった人である。普通の父親であれるはずもない。

●小拙自身も、昭和40年代に良く松竹新喜劇を観に行った。観客に対するホスピタリティの高さ、というものでは、日本の演劇界はまだ誰も藤山寛美を追い抜いていない。

●天才レオナルド=ダ=ヴィンチ(Leonard da Vinci)は、画業や建築の分野と自然科学の分野はそれぞれ違うものとして行ったという方が無理があるのではないだろうか。むしろルネサンスという風に押されてやったらいろいろ出来ちゃった、という感じの方が近いかな、と小拙は思う。

●それはそうとして、例えば美人女優が居て、私は食通です、ということになるとそれは九割以上が嘘である、ということになる。本当に食通であれば「美人」であれるはずがない。若しくは「食通」という意味を取り違えているだけの話。

●所謂食通であれば、例えば福田和也の様に、自分の食べたいものを好きなだけ食べる者のもつ体型になる。例えば東京農大の小泉武夫教授や森公美子の様な容姿になるのは当たり前のことである。質と共に量が重要ではないか。

●大阪の食レポートの第一人者、タージン(地獄屋タージマハル)にしても、健康優良児体型であるし、何故かケーブルテレビの番組で欧州へ行く機会の多い叶姉妹にしても、女王蜂の様に尻と胸部に滋養とグリコーゲンを溜めている。

●美人でグルメが居ないという命題が叶姉妹の出現によって崩壊しかけているが、痩身願望と美食願望が正反対のものであるということは証明が出来る。叶姉妹が美人か否かという議論は他日に譲る。

●「痩せたい」と思う不細工な女が、本当に痩せた所で貧相死相を嗤う位のもので、蓼虫も食わない。男性サイドはそんなに痩せた女を求めていないということは、雑誌の表紙やグラビア(死語?)を見れば判ろうはずだが。

●本当に嫌いな食べ物があったとしても、人前で堂々と云うのは子供染みている。あまつさえ、その自分の嫌いなものを食べていることを非難する者は最低である。貧困なる(経済的にではなく)家庭に生まれ育ったことを喧伝している様なものだ。

●ちなみに小拙には食物の好き嫌いはほとんど無い。嫌いなものもない代わりに好きなものもあまり無い。目の前にあるものをそうかそうかと思いながら食べる貧乏公家の様な生活。というか単なる雑食系。

●現役のマラソン選手や体操選手が絶対に食通ではないのは明白である。厳密に云うと食通の選手が居るのかも知れないが、現役の間はそれが実行出来ない。その事例を見るだけでも「痩せ」の本質に気付く筈なのであるが、勘違いしている人が多い様に思う。勘違いで無いとすれば確信犯か(何の)。

●自分の好きなことをしていたら、その為に犠牲にしなければならないことがある、ということが判らない。「痩せたい」のであれば絶食をすればいい。「美しく痩せたい」とか「健康的に痩せたい」等と二律背反することに腎を張るから失敗する。

●小拙は痩せたい女性が嫌いである。己が痩せる事によって、何かその先に若い燕でも付いて来るものと錯覚している。天は二物を与えていないとすると、元々「一物」(汝イチモツと読むなかれ)も無いのに、痩せて貧相死相人間になると、それはマイナスにしかならないのではないか。

●大体が痩せる為の仕儀が大袈裟である。繰り返すが、本当に痩せたかったら何も食うなって。しかし、それで本当に痩せて戴いたとして、誰かの為になるのであろうか。食糧を残さず調理する方法や残飯を出さずに済む量とレシピの組み合わせを考えるとか、コンビニ食を三年続けると味覚が麻痺するとか、そういうデータでも残せるのであればアレであるが。別にアレでもないか。

●しかし金持ちの令嬢に限って性格も成績も良く、運動も出来る美人なのである。不細工なんだから愛想位良くってもいいのに、と思う様なのに限って腹黒い女だったりする。典型的な悪循環がそこに生まれる。そういう場合、天はかなりのブツを同じ人に与えていることになる。

●昨今の美容整形の技術は凄いらしい。骨身まで削って造作をやり直せるらしい。顔も悪いし愛想も無い人はそういうものを利用して笑えるのであればどしどしやればいい。しかしそういう人はアブク銭を溜めるルートにも閉ざされているのであろう。だから違う道を見つけるか開拓するしかない。

●昨今の教育のせいか、自分にも平等に生きられると思っていたら、大きな間違いである時代には既になっている。自分をプレゼンテーションすることが痩せる事によって得られるのであればどんどん痩せればいい。しかし痩せているだけでは単なる不健康そうな女、というだけであって、無価値である。

●人は不幸にも自分には二物どころか一物もなかったのだ、と早めに気づくべきだ。そうして心理が開かれた先に夫々のヒトタチが面白くなってゆくのではないか。


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