●小拙の親父様に聞いた話であるが、その昔に「エノケ劇団」という幟を掲げてドサ廻りをしていた劇団があったそうである。地方のオッカサンやオットサンがバサマやジサマを連れて観劇する訳だ。少しヨソ行きのベベなぞ着て。

●しかし、舞台の上にはエノケンは一向に登場しない。舞台の上には痩せこけた老役者しかいない。何を隠そう(隠してないか)、彼こそが「エノケ」その人なのであった。彼の劇団名は「エノケ劇団一座」で、「エノケン」ではない。

●しかし、オッカサンはエノケン(榎本健一)を見に来ている訳で、誰もエノケソなどを見に行った訳ではない。しかし、芯のところでは、こんな田舎にあの大エノケンが来る訳ない、と考えていて、ほぼ確信犯的に騙されても仕方ない、ということで許されていたのだろうか。

●同じように、戦後すぐには、「美空ひり」という歌手も居たそうだ。幟や立て看板でも「美空ひり一座」であるのだから誰もが「ひばり」ではなく「ひり」であることは分かっているのかも知れない。しかし、万が一何かの間違いで「ひばり」が来るかも知れない。かつてのテント公演にはそういう夢を見る装置的な面白みと楽しみがあった様に思う。

●そういうテント公演には時間的な隙と空間的な隙間があって、根性のある悪餓鬼共は無銭で潜り込むことが出来た。かつての成人映画館でも、そうした「許す」意思が働いていた様に思う。団塊の世代とは、「日活ロマンポルノ」というフレーズを聞くだけで興奮の出来る世代か。

●林海象の「二十世紀少年読本」という映画には、そうした遊びと少し危険な雰囲気が充満しているので好きだ。更に小拙の大好きなムット−ニの世界は、それにもう少しノスタルジックを加えた自動カラクリである。

●いまでは、全ての事柄や場面からそうした「遊び」が消えつつあるように思う。「遊び」が「ユルミ」と捉えられ、或いは考えられて、TQC的にはそんなことは許されない、と。勿論、工事の現場や電算機の前線や人命の救済などを推進する時には、どんなユルミも許されるものではない。

●問題は、その管理方法が全ての事柄や場面についてもそうすべし、という風潮になってしまったことに日本の各文化の継承と発展が遅れてしまった遠因が潜んでいるのかも知れない。確かに規律や制約などの約束事を作って、誰が見ても判断できるようにするということは簡単なことである。

●問題は、その約束事の決められ方や基準の作り方にもあって、それが間違っていたり偏っていると、物事の本質からも間違いが導き出されたり、偏りが生じたりするのではないか。

●勿論、どんな約束事にも当事者の主観が反映されるのであるから、約束事の全てはある程度間違っている筈だし、偏っている筈である。そこに必要となるのが、隙や隙間といった、前線の者で判断可能な領域を残すということになるのではないか。

●モギリのおばちゃんの裁量で、高校生でも日活映画が見られたり、タダでサーカスが見られても多少は許される位の時代の気分にたち戻る必要があるように思う。少数のキセル乗車の摘発と未使用券利益を目的とした各電鉄の改札の自動化によって、職員が余る。

●切符は全て手売りで、改札ではハサミを入れる。ワンマンバスにも綺麗で優しいバスガール姉さんが付く。そんな時代を少しでも知っている世代は幸福と云うべきか。電化自動化すべき所と、コミュニケーションの必要な場所のサービスを一体にして管理運営したい気持ちは分かるが、人間の安心や気休めを得る為には分化すべきなのかも知れない。近頃ではデパートのエレベータガールも透明人間になってしまった。以前はエスカレータにも親切ガールが居た。

●我々は優れたインフラと技術と体系を獲得したが、余りにも遊びやユルミが無さ過ぎて、その軋みに耐えかねているのではないか。今だったら、エノケも美空ひりも「亜麻色の髪の乙女」を本人より上手く歌ってバレた井出一雄と同様懲役一年にされかねない。

●井出一雄は確信犯である。確信犯であるから長野県御代田町も共犯者になれば良かった、と結果論ではそう思う。ビレッジシンガーズの清水道夫として審査委員長に招いたのであるから最後までそれでイカないと。

●その時の謝礼は十五万円であったのだが、本当に清水道夫が十五万円で雇えると思ったのか。井出一雄はこれで清水道夫の何倍も稼ぐことが出来るスター性を持ち、セレブの仲間入りをしたことになる。少なくとも若人あきらよりは。

●同時に清水道夫も「亜麻色の」歌も瞬間にではあるが、メディアの風に乗った。「亜麻色の」歌をカバーするヘタクソも出た。堂々と印税を払って堂々とヘタクソなカバーを歌う乙女と、前科があってエセではあるが、本人よりも相当上手く歌っちゃった亜麻色の髪のオッサンとでは、芸能史の上ではどういう評価が下されるのであろうか。

●ヒバリはスズメ目であるという。昭和と共に天晴れに消えた美空のヒバリ亡き後、我々が刮目しなければいけないのは、関西唯一の女性の太神楽(だいかぐら)師の海老一鈴娘(えびいちすずめ)なのではないだろうか。


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