●筒井康隆の『天狗の落とし文』(新潮社)を読んだ。「全作、盗用御自由!」ということで、短文が356篇あって、その全てがどんな形に加工されて発表されても良いという。2001年7月の上梓。

●その当時はまだ『波』も購読していた筈なのに、その存在をつい最近まで知らなかった。著者のアイデアが中心であるが、複数の人のアイデアも含まれるという。

●小咄や落語のマクラ、ショートショートや短編であればすぐにでも書けそうな「話のネタ」が満載である。著者は自分自身で採用するかも知れない、という。ネットで調べたら、当時の『波』では別役実の周辺で動きがあるようなことも書いてあった。

●一方で、著作権の期限の切れた文学作品や、作家が権利を放棄したものを発表する「青空文庫」という仕組みも定着している。

●著作権は作者の没後50年経ると切れるものの様だ。日本では30年と覚えていたが、いつの間にか世界標準になってしまった。藤浩志氏によると、「世代」というものは33年周期である、ということなので、30年というのもひとつの見解だったのかも知れない。

●宮沢賢治など、主作品が没後に出たライターの場合でも「没後50年」で、1983年に切れている筈だ。没後制を採るとそういう事態が起こる。処女作の上梓を基点にすればどうだろうか。

●20歳の時に書いたものが世に出て、70歳で没した場合、処女作は100年間保護される。没後に処女作が出た場合、最大でも50年。処女作基点の前者の場合、没すると同時に著作権も切れるので、それにも問題が残るのかも知れない。

●『ザ・漱石』(第三書館)など、全著作を多段組で大判の一冊に出す企画で成功したのは、ピースボートの辻元清美(大阪)である、ということを聞いたことがある。出版業界の風上に置けない、という批判評もあるようだが、権利が切れている以上正当な行為であると思う。

●小拙の知る範囲では、そうした新たな動きはほとんど知らない。もし古典文学が読まれていないとすれば、読みたい、或いは読みたくなる体裁やキャッチで編集・制作されていないからなのではないだろうか。

●例えば、作品に応じてその作品のイメージや内容に関連する体裁で出版される、というのはどうであろうか。体裁とは、造本の様式(大きさや、表紙素材、綴じの方法など)、活字の様式(書体、大きさ、行間など)、紙の様式(各部品毎の紙の種類、厚みなど)等を指す。

●それを未刊行の書で実験的に装幀案を提示したのが、坂本龍一の『本本堂未刊行図書目録-書物の地平線』(朝日出版社)である。1984年11月に「週刊本6」として出た。そこではちょうど50冊の「本」のアイデアがイメージ画や試作品で紹介されている。

●今年3月にお会いしたマヤマックスさんに同道していた朝日出版社の若手さんは、小拙が週刊本を何冊も持っている、と云ったら、火星人を見る様な顔で見返された。

●南方熊楠の『男色と免疫疾患』を井上嗣也が装幀している。実際にそのようなタイトルの稿がある様にも思うのであるが、「実在しない書物」となっている。

●その本は、カバーを蛋白質の皮膚で覆い、その表紙1に粘(菌)を植える。井上氏はその菌を「エイズ」としている。そしてその菌が表紙1から表紙4(裏表紙)まで一頁ずつ進む。危ないなあ。

●解説には、粘菌研究者で男色論者の南方熊楠は当然エイズのことは知っていた、としているが、本当にそうかも知れないと思わせてしまえる所が熊楠の面目躍如たる所以か。

●そしてこの本は読むと同時にどんどんと菌がページを浸食し、読み終えると同時に本も消滅してしまうのであった。事程左様に現存しない「本」の形が希代の諸氏(赤瀬川原平、細野晴臣、浅葉克己、沼田元氣、高松次郎、菊地信義、他)によって装幀され、提示されてある。杉浦康平氏にも依頼したが、断られた。

●南方熊楠関係はもう一冊あって、中沢新一の『森のバロック』を奥村靫正が装幀している。このテキストは実在するものであるが、奥村は本の中央に松茸と(粘)菌を配置し、本文紙を湿らせた。菌の作用で地の文様が変化し、めくる時の粘つきなどを感じながら読み進むというもの。ケースはあのキャラメルの箱を模したものである。

●これらは中々に空想的て極端なものであるが、そのようなものが限定で出版されることによって、テキストの内容は文庫で読めるものでも単価三万円位での商売が成り立つのではないだろうか。ルリユールというものは主に個人用の造本術であるが、もう少しラインに乗せた形のものの持ち主になりたいニーズもある様な気がする。

●本を出してみたい願望は誰にもあって、駄文王の小拙にもある。これまでにも自費出版という道はあったが、取次口座がない限り、書店などへの流通は困難である。今はネットもあるが、書店で売れないものはネットでも売れない。

●自費出版を請け負う文芸社の出版点数は、最多の講談社に次ぐもので、それだけで単純に年間1200人の「著者」が誕生している。近代文芸社、新風舎などを入れると二千人近い。

●注目は、英治出版の「ブックファンド」である。出版企画の見積もりを公表し、一口十万で出資者を公募し、額が達すれば上梓。約4000冊以上売れれば、元金にプラス配当が出資者にかえる。

●ボヤンさんを原田さんに紹介して、あれよあれよと完成してしまった『懐情の原形』が英治出版ブックファンド方式の第一号となった。これには配当が出た。著者が出資者になってある程度ヒットした場合、印税に加えて配当があるので、夢のような仕組みである。勿論売れれば、の話ではある、が。

●筒井康隆の『天狗の落とし文』をまるごと文庫本にして「ブックファンド」を使って出版する、ということは出来ぬか。発表から2年以上経ってほとんど動きがないということが今の世相をそのまま映しているように思える。


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