●朝日新聞社のT記者は、新聞料金を日割りにしてみろ、と。そんな値段で社会の本当のあれこれが分かると思うなよ、と云う。確かに毎日朝刊と夕刊を配達してもらって4千円弱であれば、一紙あたりは相当に安い、と言わざるを得ない。

●しかし、配達付きで一紙あたり百円そこそこであるから、信じるなというのは、詭弁であり傲慢な考え方なのかも知れない。T記者は、ズ抜けた記者なので、そういう詭弁性をも了解の上で発言しているのではある、が。商品の単価と質の問題とは、もっと複雑な関係がある筈である。

●新聞に掲載の文字量は相当なもので、文字級数がかなり大きくなった現代でも、全国紙朝刊の文字量は相当なものである。しかし朝刊には夕刊ほど企画ものや柔軟な記事がなく、読者が見るのは、一面と運動、社会、テレビ欄で終わり、である。小拙だけ、か。

●サンケイ新聞は、夕刊をやめる(た)そうだし、パソコンと週刊テレビガイドがあれば、用は足りる。ケータイ猿族になれば、電車で新聞を広げるようなオヤジ臭いことはしなくても済む。大スポは面白い。夕刊はやはりゲンダイか。ゲンダイは小林信彦の推薦紙。

●新聞そのものも良く見れば半分以上は広告の場であって、オリコミ空間を含めると我々は相当数の物理広告を受け取っていることとなる。オリコミは日曜よりも土曜の方が多い。

●山本夏彦翁の本には、新聞記事には嘘が含まれ、広告では嘘は付けない、と書いてあった。紙面を売る側と買う側では、後者の方がより伝えたいという意思が働くのは当然である、と。であるから、記事を見るよりも広告を読んだ方が、「真実」が知れる、と。雑誌『広告批評』等での年間広告史などを見ても、それは実感できる。

●全国紙へ広告出広すれば、一度で数百万から数千万円かかる。それだけ出して広告するのであるから、それ以上の利益を生む程に商品を売らなければ続かない。

●朝日新聞一面下の出版広告、通称「三八ツ」(三段八分割)は、一コマ百万円だという。時折六分割の場合があるが、あれは幾らになるのか。坪内祐三氏は出版広告を読むだけの目的で朝日紙をとっている、 という。 朝日紙で「今流行っている」と紹介された時点で、そのブームは終わった、と見る方が正しいのかも知れない。

●一コマ百万円ではあるが、右端も中央も同一価格であって、広告効果は右側の方が高い、と云われている。その陣地配分は、同紙へのその他の出広状況などで決定される、という。

●例えば、そこに千円の本を一冊広告した場合、原価と取次卸価格の差額から利益を引いて、恐らく一万冊以上販売できなければ、効果は無かったことになる。単なるエクスキューズでなければ、その程度は売る必要性が出てくる。

●雑誌以外では、売りに良くつながるのか、時事に関連したものや、健康関連等の実用書籍類などの広告が多い。科学系や法曹系など、同日に同系列の雑誌広告が並ぶのは、意図されてのことなのかも知れない。

●版元のPR誌では、広告の大半が出版広告である。他社書籍の書評を載せるものもある。自社のファンというよりも、「本好き」読者が対象なので、そうした相乗効果、というものがあるのかも知れない。懐の深さ、か。

●PR誌を持っている版元同士の広告出広の場合、交換というかバーター取引していることもあると聞く。新聞では他社新聞社の書籍出版広告はするが、他社新聞の広告はしない。

●どちらにしても今年、読売新聞は相当数部数を落とす、つまり読者を減らしたのではないか。渡辺恒雄オーナーが、原監督を切り、契約更改の代理人交渉を認めず、世間の顰蹙を買った。その顰蹙には幾ら費やしたのか。

●週刊誌の記事は実質上新聞記者が売文しているのであって、新聞記者の気休めと小遣い稼ぎは、雑誌編集部が支えていた。中吊り広告では雑誌広告はあるが、新聞の中吊り広告というのは見た事がない。

●全国紙朝刊の社会面下では、連日リコールによる製品回収や、不祥事による囲みのお詫び広告が出る。新聞の同じ場所で思いがけなくブームになって、店頭では品切れになったことを詫びる広告があるが、あれは意外と更なる宣伝効果があるように思う。

●セレブでない限り、死亡記事も価格の決められた広告の成果で、会社重役の親の葬式まで出広する場合もある。死亡したこと、葬式・告別式の告知を知らせているのであろうが、株主への安心を与えるためのメッセージなのかも知れない。

(2003年12月22日号掲載)


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