●年金がどうのこうの言っても、小拙が貰える保証も無く、貰えたとしても20年後の話である。人間死ぬまで働らきゃ良い、だけの話なのではないか。定年して年金で庭をイジろうなどと詰まらないことを考える方が間違っている。来年のことを言うだけで鬼が笑う。小拙は当面粘菌に傾倒する。

●鳥インフルエンザ菌が烏からも発見されて、鳥インフルエンザ問題の中の烏インフルエンザ問題が大問題に。人インフルエンザのワクチンは鶏卵から精製するそうで、鳥インフルエンザに罹った鳥からは人インフルエンザのインフルエンザワクチンを作ってはいけなくなるそうだ。かつては「七つの子」の烏が、ますます害鳥扱いされる。今泣いた烏がもう笑う事になれば良いのである、が。

●泣いても笑っても、世の中は仕組みで動いているから、金が無ければ飯が喰えないし、罪を作れば罰せられる。どんなに凶悪な殺人鬼にも国選の弁護士が付いて弁護擁護をして呉れる。落語「地獄八景亡者戯」には人呑鬼が出てきて、死人を呑むが、呑まれた亡者に苛められる。奉行所のお白洲でふんぞり返っているのは、与力である。

●毎年三月の第二土曜日に一度だけ大阪から神戸まで走る。小拙が言いだした「大阪・神戸チャリティマラソン 走らん会」では主宰者の手前、30km走っていた。9回目となる今年は、初めて自転車での応援隊に加わったが、それでも膝が笑う。チャリティ金は、芦屋の震災遺児のケアハウス「浜風の家」の中で「走らん会文庫」という名前で、絵本を買っていただいている。

●拙宅のベランダに4年前、1mほどの海棠を植えた。翌年は咲かなかったが、その次の年から同じバラ科の桜に良く似た花が咲く。桜より少し花の色が濃い。「海棠睡未だ足らず」と言えば、玄宗皇帝が酔いのさめきれない楊貴妃のなまめかしさを語したもの、という。「海棠の雨に濡れたる風情」とは、美人のうちしおれた姿がなまめかしいことの形容(広辞苑)。大変に色っぽい花、なのか。

●昨年、神戸の田中良平氏宅で、アーモンドの花を拝見した。東灘区の「東洋ナッツ食品」社構内で毎年「アーモンドフェスティバル」が開催されアーモンドの花見が出来る。氏はそこで苗を頒けてもらったという。桜よりも約2週間早く咲き、花弁も多い。大変に綺麗な花であった。こうなってくるともう山笑う季節である。

●代議士の秘書給与を不正に着服したとか横領したとかで、代議士がクビになる。新聞を始めとするマスコミが摘発か告発かをし、責任が問われ逃げ場がなくなって辞める。本当は本人が一番不正を疑っているのであるが、バレるまで置いておく。周囲の代議士は、それを見て法すれすれの所にまで伝票や人事を操作する。桂枝雀によると、向こう脛を蹴られると笑いながら死ぬ、という。

●党や国会は、国民やらマスコミやらがそうした瑣末な事件に関心を寄せている方がありがたい。党の秩序、国会の腹芸のバランスさえ崩れなければ良いのである。怖いのは内部からの告発である。朋輩笑み敵と知らなければならない。

●政治の世界では、与党と野党に分けられる。多数決で過半数以上の員数を揃えれば与党、である。地方選挙では自民党と民主党などが挙党する。「共産党以外の野党」と言うが、外野から見ると、それとて目糞鼻糞の類でしかないように思う。大阪では絶対に公明党は負けない。目糞鼻糞を笑い、耳糞歯糞を笑う、か。

●「笑止千万」というが、大阪では「アホ臭い」と言い、実際には「アホクサ」と言い放つ。又それ以上にアホらしい事があれば「アホらしくも無い」と言い、実際には「アホらしゅうもない」と言う。アホと呼ぶのもはばかれる事がある。

●大阪人は「アホ」と呼ばれて喜んでいる節がある。場合によって「お前はホンマにアホやなあ」は最高級の褒め言葉である。それだけ一筋に猪突しているということであって、莫迦(馬鹿)では情緒が無い。坂田利夫はアホではないからアホが出来るのだとは思うが、本人からはそういう節を一切見せて欲しくない。

●又大阪人は「最低自慢」癖があって、例えば友達が自分のオカンの無精を自慢したら、負けずに「アホ、俺のオカンなんか毎日夕方まで寝とるぞ」と言う。言われた友達は更なるオカンの無精を探して負けずに言う。大阪人は嘘をついてでも兎に角勝ちたいの、か。

●へてから、大阪人は「それから」のことを「へてから」と言う。夏目漱石の『それから』も大阪人が書けば『へてから』となる。例えば『愛、それから。』という歌があればソレらしいが『愛、へてから。』では全然ソレらしくもないし、愛の値打ちが無くなる。

●そんでもって大阪人はまず「ちゃうねん」と言う。違わなくとも言う。例えば「これは何というものですか」という質問に対して、まず「ちゃうねん」と言う。

●この「ちゃうねん」は所謂時間稼ぎの繋ぎ言葉ではないか、と小拙は分析している。「知らない」ということが嫌なので、とりあえず「ちゃうねん、これに似たものがあって、それは○○○と言うねん」と言う。素直に知らないと言えない大阪人の可愛いらしさ、である。

●大阪の言葉は、どちらかと言うとビジネス向きで、恋愛を語るのには向いていない、と思う。「ナンボでっか、負けてんか。」には向いているが、「好きやねん、早よやろ。」では情緒が無い。

●桂三枝は英語を第二公用語化する動きを牽制する。(落語『にぎやか寿司』マクラ)地域によって英語に向いている所とそうで無い所があるのではないか、と。東京は英語向きだという。つまり「駄目!」は「NO!」に合う、という。

●大阪はどちらかというとフランス語に向いているという。「Non」は「あかんのん?」「違うのん?」に通じる柔らかさがあって、英語の持っているキツさは東京語に通じるのではないか、と。吉本興業のハヤシヒロアキ社長は、「h」を発音しないフランス人に言わせると「怪しエロアキ」になるという。

●「笑いは人の薬」と言い「笑う門には福来る」という。大阪人のイラチでエエ加減で緩やかな感性が日本のスタンダードになれば面白いとは思うが、それは無理な相談であろう。

(2004年3月22日号掲載)


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