○長崎の伊藤一長市長が自身の選挙運動中に射殺された。その弔い的候補として、伊藤市長の娘婿で新聞記者(40)と長崎市の統計課長(50)が立った。小拙は直感的に娘婿が当選すると分かった。これまでの弔い選挙では大抵身内が勝利していたように思う。

○ 果たして、統計課長が78,066票獲って当選した。新聞記者の娘婿は77,113票の獲得であった。その差953票。 第1〜第8までの開票区の内、第1開票区(旧長崎市)のみが統計課長の得票が多く、その他全ての開票区では娘婿が勝っていた。一部マスコミは「市民は“世襲”より“実務”を選んだ」と報じた。そういう報道文は誰のためのもので、何故必要なのか。

○不在者投票や期日前投票制度によって票を投じたものが7,592票あったが、その内「伊藤一長」と書かれた票は無効になった。もちろん死亡後の不在者投票もあるかと思うが、死亡前の不在投票有権者には再度投票の機会を与えるべきではないのか。こうした場合、現行の制度は少しおかしくはないか。その差は953票である。

○投票されたものの内、無効票が前回選挙(4594票)の約3倍強となる1万5,435票だった。投票総数(20万802票)の7.69%にあたる。最大の第1開票区(旧長崎市)の投票総数は17万8,759票であるが、候補者以外の氏名票が7,463票、白票は4,558票であった。また、氏名以外の内容を記載した票が1,095票あった。この票は流石に如何ともし難い。

○選挙法で、公務員のまま立候補はできないので、統計課長が落選した場合完全無職になる可能性があった。恐らくであるが、新聞記者は復職できるのではないだろうか。もう復職しているのかも知れない。仮に伊藤市長の実の娘が擁立された場合は、どういう展開になっていただろうか。

○小拙は、本島等前市長への『長崎市長への七三〇〇通の手紙』(径書房)を1989年の上梓時に購読した。伊藤市長も本島市長と同じく至近の背後から銃撃されたが、基本的政治思想は本島市長の路線を継いでいたことと関係は無いのだろうか。国民はもう伊藤市長に手紙を書くことはできない。

○この選挙戦で最大の問題は、これだけの不条理極まりない、前代未聞の極悪暗殺事件が二代続けて市長の身に起こっていて、尚且つその投票率が55.28%だということなのではないのか。国民・市民は一体いつになったらその権利を行使するのだろうか。

2007年04月30日号掲載
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