6月某日

 5月に来日をキャンセルしたt.A.t.uが、今度は本当に日本に来た。

 稀代のトラブル メーカーであり、その音楽性よりスキャンダラスな言動自体をセールス ポイントにしている彼女達。来日直前にもモスクワの赤の広場で無許可撮影を敢行して、警察に注意を受けている。

 そんな彼女達が、ちゃんと日本に来ただけでも儲けモノなのに、ミュージック ステーションに生出演するという。“これはもう、絶対、見なければなるまい”と大急ぎで帰宅した。


タトゥー、生番組で姿消す テレビ局に抗議殺到

 来日中のロシアのアイドル デュオ t.A.T.u(タトゥー)が27日夜、生出演中の音楽番組『ミュージック ステーション』(テレビ朝日系)で、途中から楽屋に引っ込み、歌わないまま番組は終了した。“独占生出演”と告知していたテレビ朝日には、視聴者から抗議や問い合わせの電話が殺到した。
 同局によると、タトゥーの2人は同日夕からリハーサルに参加。午後8時前の番組オープニングには登場したものの、突然、本人とマネジャーが“出たくない”と楽屋に引っ込んだという。
同局広報部では“理由が分からない。日本のファンも楽しみにしていたのに残念”と話している。

(共同通信)


 '79年、ジュリアン・テンプルが監督したセックス ピストルズの記録映画、『グレート ロックンロール スウィンドル』(英)の中で、稀代の詐欺師にして敏腕マネージャー マルコム・マクラーレンは、いかにしてロック グループを作り、それを有名にし、そしてお金を儲けるか? というスウィンドル=大ペテンの物語を理路整然と語ってみせる。印象的だったのは、“トラブルを起こしレコード会社から契約破棄を勝ち取るほど、次のレコード会社との契約金が上がる”という事実と、“絶対に演奏しない”という戦略だった。

 t.A.t.uのプロデューサーがマルコム・マクラーレンを信奉し、この作品で語られた戦略を忠実に実践しているというのは、何とも美しき誤解だが、それにしてもこのロシアの勘違いムスメ達が、“ロックって、そういうもの”と思い込んでいるフシは多分にある。実はその思い込みこそが、このペテンを成り立たせている重要な要素なのだ。

 ロックやパンクのフィールドにおいて、常識的なミュージシャンくらいつまらないものはない。非常識であることこそが善なのだ。だから非常識な行動を取ることでスターダムにのし上がったアーティストを、非常識だと批判するくらい不毛な”ノはない。

 番組には1000件以上の苦情電話があったそうだが、ここまでヒマな連中が多いとは、日本はなんと平和な国であることよ。常識的であり、潔癖であり、その人間性において範を示すべき立場の政治家が、汚職に走り、脱税に手を染め、賄賂を受け取っても、連中は大して騒がないくせに、非常識がセールス ポイントのミュージシャンをバッシングするとは、分かっていないにも程がある。そういう似非正義感を振り回すカラ元気はもっと他で使えばいいのだ。

 テレビ朝日も、“ユニヴァーサル ミュージックのアーティストを出入り禁止にする”とか、“契約違反で訴える”とか息巻いているらしいが、そんなことをしたら、損をするのは局側であることが何故、分からないのか?

 そもそもテレビ朝日なんて見事なまでに体制側なのだから、ロッカーが自分達の資質に忠実であればあるほど、反撥するのは極めて当たり前だし、素直に言うことを聞くと考えていること自体、思い上がりも甚だしい。所詮は娯楽の道具であり、利潤を追求するただの会社でしかないテレビ局が、自らマスコミの長を任じて常識派を気取り、その官僚的で傲慢な本性を曝け出した瞬間である。

 これくらい痛快な放送事故って久しぶりだし、筆者など、もうひっくり返って大笑いしてしまった。“やった! やった〜!! それでこそt.A.t.uじゃん”って感じ。名司会者として自他ともに認めるタモリ氏が、“自分の発言に問題があったのかもしれない” という畏れや、“とにかく、番組を盛り上げなければ”という義務感から、珍しく異常にはしゃいでいたのもまた、メチャクチャ面白かった。ところが翌日のFNS27時間テレビでは、さらにデカイ放送事故が待っていたのだから、まさに一寸先は闇である (^0^)


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今週の推薦映画
Sex Pistols
『Great Rock'n Roll Swindle』



●Swindle=大ペテン これほどにロックの本質をついた言葉が他にあるだろうか? 演奏の全く出来ないミュージシャンとは、危険が危ないと同じくらい変な日本語だが、ことロックのフィールドにおいてはノー プロブレムなのだ。

●“Don't Trust Over 30”と喚き散らしていたロックも、'70年代の後半には、ティーン エイジャーではなく30歳以上のベテラン ミュージシャンに占められ、やたらと複雑で分かりにくい代物になっていた。言わば死に体のロックをシンプルなスリー コードのパンク ロックが葬り去ったのだ。体制や権威を否定するロックの中に体制や権威が生まれた時、自浄作用として、カウンター カルチャーとしてパンクが登場してきたのは、まさに歴史の必然であったと言って良い。

●この作品は、本文でも述べたように、存在そのものが事件であった Sex Pistolsの大ペテンの一部始終を記録映画風にまとめたもので、シド・ヴィシャス(極悪人シド (笑))主演と言っていい記録映画様の演出パートとSex Pistolsの実際の演奏パートから出来あがっている。

●制作当時、すでに企画のマルコム・マクラーレンとフロントマンであったジョニー・ロットン(腐れジョニー(笑))は犬猿の仲であったようで、実際、ジョニーが登場するのは記録パートのライヴ シーンだけである。

●全体に眠い映画だが、監督のジュリアン・テンプルという人は元々MTVのディレクターで、さすがに演奏シーンは不埒なほど良く撮れている。特に、シド・ヴィシャスがカヴァーする「マイ ウェイ」のシーンは全音楽映画から俯瞰しても屈指の名場面であり、実にカッコいい。

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