何かと言うとすぐに判で押したような訳知り顔で“放送禁止”という単語が飛び交うが、実は今日、放送禁止とは放送自粛のことに他ならない。筆者は結果から遡って、故意・過失とも放送事故という言い方の方が妥当ではないかと考えている。

 巷で喧伝される“放送禁止歌”というものは、すでに存在しない。そもそも“放送禁止歌”という呼称自体、誤りなのだ。実はオン エアの可否を審査し、その結果を強制的に執行する団体は、モノの初めからなかったのだ。一般的には民報連(日本民間放送連盟)がそれにあたると考えられているが、彼らは “要注意歌謡曲”を選定しただけで、放送についての最終的な決定は放送する側に委ねられている。

 山平和彦、高田渡、三上寛、頭脳警察、ジャックス、美輪明宏、等々が唄ったいわゆる放送禁止歌は、実は全て要注意歌謡曲である。民報連の規程には、“何が何でも絶対に放送してはいけない” とはどこにも書かれていない。

 それは放送禁止あるいは差別用語、あるいは問題発言という記号を貼り付けることで、そこから引き起こされる煩わしい問題を回避するために、放送する側が設けた安全基準であり、安易であざとい知恵なのだ。スピードこそが信条の放送界にあっては効率こそすべて。煩わしい問題で時間を取られることこそ最大の悪である。一過性に消費される番組にそこまでの時間をかけてはいられないということか。

 言葉=表現に関わっていく人間は誰でも、常に問題意識を喚起し、しぶとく発言を繰り返し続け、そこから起こる様々な軋轢をすべて引き受けて行くだけの自覚と覚悟が必要だ。それは業のようなものである。

 はっぴいえんどをバックに唄う岡林信康は、まるでザ バンドをバックに唄ったボブ・ディランのようだったが、実際にはそのディランに影響を与えたウディ・ガスリーの方がしっくりくる。労働問題などを現場から現場の言葉でリアル タイムに歌ったガスリーは、ギター一本で表現可能なフォークの持つ機動性を実証したが、一時代の岡林は正にガスリーのように、現場からしぶとく音や言葉を発し続けたのである。それは神様といった安易な単語を冠して記号化するしか能のない評論家の空虚さとは全く無関係に、正に血を吐くように言葉を紡いだ凄みを感じさせるものである。

 同和問題を扱った岡林信康の「手紙」を聴いた時の衝撃は今でもハッキリ覚えている。当時、古いシングル盤を集めることに腐心していた筆者は、地元の行きつけの店(なんとこの店は昔、URCの代理店だった)でこの作品を掘り出し、いわゆるお宝発見と小躍りした。特に内容を確認するわけでもなく、岡林信康のURC時代のシングル盤という希少性に惹かれてすぐさま購入したのである。帰宅して特に歌詞カードを見るでもなく早速、針を落した筆者は、最初“なんだ、失恋の歌か。暗いナァ… ” と思って聴いていた。しかし、3コーラス目のフレーズに打ちのめされるのにさほどの時間はかからなかった。


たぶんつづく

参考文献 森達也『放送禁止歌』(知恵の森文庫)

*注
URC(アングラ レコード クラブ)
はっぴいえんどや岡林信康、赤い鳥などの作品を世に送り出した独立系レコード レーベル。’69年にスタートし、関西フォーク、プロテスト ソング ムーヴメントを強力に牽引した。URCは当初、会員制のレコード クラブで、制作した作品を一般のレコード店舗を通さず、わずか2000名の会員のみに配布するという方式をとっていた。’69年2〜10月までの8ヶ月間に5回、計LP5枚(内2枚組1組)、EP10枚が制作されている。

URC設立趣旨を記した“フォーク リポート” ('68年)の一文
私達は、現状では日本のレコード界は民衆への音楽文化の一方通行の役割しか果たしていないと考えます。民衆の中から生れ、民衆自身が創り出した優れた歌が数多くあるにもかかわらず、さまざまな制約から、商業ベースにのりうる歌や、歌い手はそのごく一部です。そこで私達は、優れてはいても商業ベースにのり得ないものを集めて、私達自身の手でレコード化し、クラブ員のみを対象として、レコードを制作配布します。

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[猟奇的な日記]
放送禁止の嘘

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今週の推薦盤
岡林信康『手紙』


試聴

●一説によれば、この歌詞は自殺した女性の遺書をもとに起こされたということである。歴史の背面では、実際にこのような出来事が、何度も何度も無反省に繰り返されてきたのだろう。我々はまず、その事実を知ることから始めなければならない。なお、岡林信康は現在、この作品に関する一切のコメントを差し控えている。

岡林信康 作詞/作曲『手紙』

わたしの好きな みつるさんは
おじいさんから お店をもらい
二人一緒に 暮らすんだと
うれしそうに 話してたけど
私と一緒に なるのだったら
お店をゆずらないと 言われたの
お店をゆずらないと 言われたの

私は彼の 幸せのため
身を引こうと 思ってます
二人一緒に なれないのなら
死のうとまで 彼は言った
だから全てを あげたこと
くやんではいない 別れても
くやんではいない 別れても

もしも差別が なかったら
好きな人と お店が持てた
部落に生まれた そのことの
どこが悪い なにがちがう
暗い手紙に なりました
だけど私は 書きたかった
だけど私は 書きたかった。

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