「K大で成績もまあまあなら、どこでもあるわよ!」

 友人たちからそう言われた昨年の秋。そうかな、ほんとかな?と思いながら、一人娘のシュウカツが始まった。「バブル到来、売手市場」とメディアが盛んに報じていたので、当初は半分以上安心していた。ところが、いざ始まってみると、この先いったいどうなってしまうのかと、つとめて冷静さを保ちながらも健康など心配して見守る半年間となったのである。

 08年卒のシュウカツは決して世間が言うほど楽勝ではなく、業界を絞らなくてもキツかった。バブル期や氷河期に比べて大学生数も増加したことや(分母が増加した)、シュウカツの形態が大きく変わったこともある。

 これからシュウカツが始まる子供をもつ友人も多い。21歳の一人娘のシュウカツを、報道とは異なる事実を50代の親から見た記録として友人たちにおくりたい。

 世間で言われるシュウカツバブルとは?

 入社3年で辞める若者たちを「転職も楽勝!」と煽るメディアは、信じるに足るのか?

エントリーシート
ENTRY SHEET

ず最初に、ざっと自己PRを書いてみよう。これはエントリシート(以下ES)などに書く内容で、シュウカツはここから始まる。

 都内中高一貫女子校卒、世間で言う「私大トップ」のK大に現役合格。文学部社会学専攻。07年4月末にシュウカツを終えて、現在4年生。

 志望はメディア系で、1年の冬にK大内のWスクール的なメディアコミュニュケーション研究所(元新聞研究所)というところを受験した。60年ほどの歴史があるこの研究所はK大全学部の学生が受験でき、合格すると2年からメディア系の研究ゼミに無試験で入れる。安いけれども大学のものとは別に学費がかかり、単位も別。卒論を提出して単位をとれば修了証書ももらえる。研究所出身で現在TVで活躍しているOBもいる。昔はそれほどの人気ではなかったが、今は筆記・面接による入所試験は毎年数倍の倍率で、娘は運良く突破した。3年からは専攻のゼミにも入れたのでゼミは2つとなり、卒論も2つ、あわせて6万字を現在書いているところだ。

 昔から体が弱く、幼児期にある病気に罹って、2度の長期入院を含めて元国立小児病院に12年間通院し、大学2年頃までは内科検診が欠かせなかった。体育系とはまったく無縁、サークルは歴史系で3年で代表を務め、社会学のゼミナール委員も経験した。容姿は中肉159センチ、声が大きく元気なタイプ。体が弱いようにはまったく見えない。髪は一度も染めたことがなく、流行はほぼ関知しない。特技なし。趣味はサッカー観戦(ゴンちゃん命)。松本人志も命。好きな俳優の演劇も鑑賞し、中高では演劇同好会に所属して役者を楽しんだ。あとは邦楽、映画鑑賞、旅行など。

 留学経験や英語学校などはないが、TOEICは3年に受けて755点と高得点をゲットしたから、各社の面接の際に誉められたそうだ。成績は5段階でいえば4くらいか。語学は英語、第二外語のドイツ語ともにA。アルバイトは個人塾の講師、代ゼミの模試監督、Z会のキャンパスレポーター(K大の友人に取材してZ会の情報誌に掲載された)とモニター添削を一年生からずっと続けている。変わったところでは、2年春休みに、カフェで6時間立ちっぱなしのホール係を2ヶ月やった。時給1000円で税金までとられたのは初めてだったが、芸能人も来店する赤坂の店で、楽しんだようだ。昨今、賞味期限の改竄などが話題になっているが、「捨ててもいいけど良かったら家族で」と生ケーキを山ほど持ち帰ってきたことも何度かあった。辞めるときには皆からプレゼントをもらって「また来てね」と言われたが、大学から通うには不便で、その後はできなかった。シュウカツ中、近くまで行ったので店を訪ねてみたらしい。

 ──ざっとこんな娘だが、のちのちポイントになるのは、体があまり丈夫でない、文学部であること、体育系が不得手といったところ。

 夫は営業職でメーカーに32年勤務。転勤も2度経験したが、病気のため55歳で早期退職している。長年の経験から、各社の雰囲気などを娘に教えた。娘が疲れて調べる時間もないような時は、母の私もPCで調べた。

 無名で小さな会社でもいいから正社員の内定をとりなさい。
 業種は一切問わないが、車を使う仕事はやめること。
 健康に気をつけること。
 挫折もあるだろうが最後までやること。

 学生は会社を知らない。TV、雑誌で宣伝しているところは知っているが、そうでないところでも堅実な会社はあると、親として助言した。

2007年12月3日号掲載

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