内定
THEIR UNOFFICIAL DECISION

は、歴史はあるが怪しくもある出版もどきのG社にES通過し、筆記、面接3回の5次選考後、4月半ばに内定の速達が届いた。朝届いたときはメーカーの面接へ出かけるところだったが、初めての内定通知に泣いてしまう。相当疲れていたのだろう。でもまだ続けると言い、すぐ出かけた。その時期、女子で決まっている子はごく一部、大手メディアか縁故で入れた子のみで、まだまだこれからという時期。メーカー、金融などもまだ1、2次面接あたりだった。嫌っていた金融の面接3日前くらいだったので、このGの内定によって金融、保険系はすべてやめることにし、少し負担が軽くなった。そこでシュウカツをやめていれば、本当の最終的な今の会社の内定は出なかったわけで、これも運、縁だろう。

 最終的に入ることに決めた会社は、ES通過後、面接4回、その間にとても難しい英語試験があり──落ちたと思ったらしい──成績表も提出、計6次の選考で4月末に正式に内定が出た。最終面接は朝8時半からで、携帯で結果連絡を待つことになった。

 その日は午後に他の面接があり、家の近くだったので一度帰宅。結果を気にしつつ面接へ出た。帰宅後、携帯に連絡があり、結果を知らせるので6時にまた来てくださいと言われて3度目の外出。「内定です。内定理由は……」という説明があり、健康診断書をすぐ出すように言われた。大学の健診は5月半ばだと言うと、費用を出すから近くの医院で受けてほしいと言われ、3日後に提出して内定を得た。

 3度も外出して疲れも出ていたので、もうそこに決める、と残っていた社はすべて辞退した。4月末のGW前、女子の内定としてはまあ早めであり、一部の小出版社などはまだこれから始まる時期だったが、「もう疲れた?」と言い、半年弱の怒涛のシュウカツが終わった。PC、携帯、会社ホームページを見る緊張連続の日々をよく頑張ってくれたと思う。疲れた、もう止めたいという気持ちはよくわかった。

 本命の業界ではなく、初めはあまり念頭に置いていなかった会社だが、感じは良かったし、業績は悪いが老舗なので、自分でも納得したようだ。偶然、私の同窓の友人の夫がそこへ勤務しているので、夏に会って社内の様子などを聞いた。総合職、営業での内定なので、来春からは東京勤務とは限らない。母としては、銀行のように東京勤務限定で総合職と一般職の間のような仕事もいいと思っていたが、金融系だけは頑なに拒んだので、地方勤務になってもしかたがないと思う。初めは東京でも、何年後かには必ず一度は地方か、もしくは遠くへの通勤になり、一人暮らしをしなければならない時が来るだろう。私も夫の2回の転勤で20代、30代と地方の暮らしを経験している。体さえ壊さなければ良い経験にはなるはずだ。

2007年1月7日号掲載

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