客観的になることも、自分に入り込んで泣くことも出来ない。どこにもいけない。でも、それはそれで良いのかもしれない。

 端的に言うと、私は恋をしてそして失恋した。彼はまるでお星様みたいに白くきらきらと光っていて、私はまるで電球にたかる羽虫のように、その光に吸い寄せられていった。そして、これはよくある話なのだけれど、私が好きになったその彼は、昔別れた人のことが忘れられず、そして私はその人によく似ていたのだそうだ。声や、仕草、表情の作り方。私を通してその人は、いつも昔の恋人を思い出していたのだろう。何てよくある話。そして私は、それら全てを無視した。

 何回かデートをしたあとで、私たちはホテルへ行った。そして、まさにその直前に、彼は私の上に力尽きたように覆いかぶさった。そして、辛そうにこう言った。

「ごめん、俺はやっぱり好きな子としか出来ない」

 私は失恋した。何ていうか、泣きようも、落ち込みようもない。何が何だかさっぱりわからない。 

 

 昔から、私が好きになったものは、そのほとんどが私の側を通り抜けていく。もう少しで手に入りそうになっても、それはいつも私をすっと抜けていく。手に入ったと思っても、その瞬間はすぐに去ってしまう。そして、本当には欲しくなかったもの、欲しかったものの残りかすばかりが、いつも私の周りにはあり続ける。どうしてなのだろう。人はよく、それはお前のあり方に問題があるからだ、などと言う。それはそうだ、もちろんそうなのだ。でも、私のあり方を決めてきたのは、私の力だけではない。私のあり方は、私が生まれてから今までの二十三年間で作られた。周りの人々、環境、天候、偶然、気まぐれ。私の意志でどうにかできるようなことなんて、百に一つも無い。でもまあ、こんな事を言ってみても何にもならない。どうにか出来る時にだけ、どうにかしようとすれば良いのだ。それもそうだ。

 私は思い出している。子供の頃、おばあちゃんの家の近所にあったお寺の水路に、咲いていたピンク色の蓮。上に乗れそうなくらい大きな黄緑色の葉っぱと、鮮やかなピンク色の大きな花。夢みたいに美しい風景。澄んだ水がそよそよ流れ、大きな葉っぱが微かに揺れる。ぬるい柔らかい風が汗ばんだ肌を通り抜ける。ああ、もしかしたら。もしかしたら欲しいものは、手に入ったりしないのかもしれない。通り抜けて、私の中に少しだけ残ったものが、美しいものなのかもしれない。

 いつか、彼に、ちゃんと謝ろう。きっと私は、欲しすぎたのだ。何かが欲しくて欲しくて、それをきっと求めすぎてしまったのだ。飢えたハツカネズミみたいに。

 

   あかいめのハツカネズミには
   とうめいなものがみえない
   せかいはいつもあかくあかくもえていて
   ぼうぼうおとをたてている
   ハツカネズミはしらない
   せかいのしずけさを
   すいれんのうつくしさを
   
   ハツカネズミはめをとじる
   めのまえにしずかなくらやみが
   まるではじめからなにもなかったかのように
   ぽっかりとくちをあけている
   ハツカネズミはおどろいて
   あわててあかいめをあける
   せかいはあかくもえていて
   ハツカネズミはいきをはく
   
   ああいそがしいいそがしい
   やるべきことがやまづみだ
   ハツカネズミはつぶやいて
   またちょこちょことうごきだす

2006年9月4日号掲載
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