むかし、鉛筆の芯をなめてみたことがある。細く細く尖らせた鉛筆の先端に、思わず舌がすぅっと引きよせられた。黒光りして今にも刺さりそうな黒鉛の芯に、おののきながらもそっと舌先を押し当てると、かすかに鉱油の匂いがして、冷たくて、でもほんのすこうし甘かった。

 亡月王作品集『蛇蝎』という不思議な画集を眺めていると、なぜかそのことを思い出したのでした。

 画集のなかにいるのは、触手と化した手足をひとり絡ませながら、扇情的なポーズをとる女体たち。乳房を掴んだり強調したり、性器を弄んでいたり……でも、そんな姿態はぜんぜんエロテッィクじゃない。エロティックさを感じるのは、その剥きだしの胸を、性器を、その肢体をおおうつややかな皮膚そのもの。白い紙の上に、鉛筆で描き出された女性たちの肌は、黒くとてもすべらかで、思わず絵を指でなぞってしまう。視覚が快楽をおぼえるはずなのに、触れる歓びのほうが勝っている絵だなんて、なんて素敵! あまりにもなまめかしく描かれているので、まるで生きている肌に触れているかのような錯覚に陥いり、指は何度も何度もなにかをたしかめようとして冷たく硬い紙の上を滑っていきます。

 でも、生温かく血が通っているより、滑らかで冷たい肌のほうが彼女たちにお似合い。独りでお楽しみをつづける彼女たちには、誰かに分け与える体温なんてきっと必要ないに違いないもの。

 紙の上の裸体をなぞりつづけていると、いつしか自分の陶酔感がだんだんと高まっていくのを感じて、心なしか指がふるえる。強い摩擦で熱を帯びはじめた指先は、感覚が鋭くなってぴりぴりする。それにかまわずもっと強く触れつづけていると、だんだん指の感覚が紙に融けていって、とうとうその境界がふっと消えてしまう。その瞬間、絵をなぞっていたはずなのに、いつのまにか自分のほうがになぞられ、慰撫されていたことに気づいて、背筋がぞくっとした。

 気がつけば鉛筆を舐めたときと同じように、口の中がかすかに甘い。背筋が震えたのが畏れなのか快感なのかはわからないまま、黙って静かに本を閉じます。

2007年1月22日号掲載


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蛇蝎―亡月王作品集
西村有望
アトリエOCTA
2001年3月発行
5,040円
ISBN4-900757-20-9