ユゴ〜大統領有故〜
無修正完全版

イム・サンス監督インタビュー

 今回は、この冬一番見ごたえのある社会派作品をご紹介しましょう。『ユゴ〜大統領有故〜』という韓国映画です。


© 2005 by MK PICTURES

【1979年10月26日。その日は、韓国現代史上最も衝撃的な一日となった。パク・チョンヒ(朴正熙)大統領が暗殺されたのである。この日、18年間に及ぶ韓国軍事独裁政権に終止符が打たれた。暗殺の首謀者は、パク大統領の腹心であり友人であった韓国中央情報部(KCIA)長官のキム・ジェギュである。暗殺直後、キムは軍と政府に対して、暗殺という事実を曖昧にするため「大統領に有故(ユゴ)があった」と説明した。「有故」とは、「事故に遭う」の意である。その前後24時間を映画化!】

 実際に起こったあまりに謎のベールに包まれた部分の多い要人暗殺事件を、綿密な調査・取材に基づいた推測を盛り込んで映画化した劇映画です。

 監督は『浮気な家族』『ディナーの後で』で知られるイム・サンス。主演は『地球を守れ!』『ビッグ・スウィンドル!』のペク・ユンシクと、『シュリ』『二重スパイ』のハン・ソッキュ。

 本作、韓国での公開直前にパク・チョンヒ大統領の遺族(長男:パク・チマン氏)から「故人や遺族の人格的法益を侵害している」として訴えられ、第一審ので「記録映像部分など計3箇所。合計3分50秒のシーン削除を命じる」という判決が下りました。その判決を受けて、製作側は、「創作と表現の自由に対する侵害」との抗議の意を表すべく、敢えて指摘箇所のカットをせず、画面を黒く塗りつぶして上映することとしました。

 日本でも当初その <黒塗り修正バージョン> での公開が予定されていたのですが、急遽、<無修正完全版> での上映が決定したのです。今回の日本公開が世界初の一般劇場における <無修正完全版> 公開となります。

 さて、2007年12月8日。心斎橋シネマートにて、『ユゴ〜大統領有故〜 無修正完全版』の監督であるイム・サンス氏が合同記者会見を行われました。そのため、今回は銀ナビ初の映画人インタビューをお伝えします。

© 2005 by MK PICTURES  

Q:この作品を撮ろうと思ったきっかけは?

まず、政権交代によって作品製作が可能な体制になったということがあります。金大中政権では恐らく不可能だったでしょう。戦後生まれのノ・ムヒョン政権以後だからこそ可能になったと言えます。また、前作『浮気な家族』が、批評的成功だけでなく、興行的成功を収めたということも大きいです(『浮気な家族』の製作は本作と同じMKピクチャーズ)

Q:主演のペク・ユンシクさんとハン・ソッキュさんについてお聞かせ下さい。

ペク・ユンシクは60歳を過ぎてから映画界で注目されるようになった遅咲きの努力人です。今回も彼は努力を惜しまずに、この作品に全力投球してくれました。個人の政治的見解を排除して、あくまで演技者として出演してくれたのです。ハン・ソッキュは言わずと知れた大スターですが、この頃、ちょっとしたスランプに陥っていて、今までとは違う役柄を求めていたようです。その為、ナンバー2の役柄を引き受けてくれ、素晴らしい演技を見せてくれました。

Q:裁判の経過についてお聞きします。今回、この日本で、完全版が世界で初めての一般公開を迎えるわけですが、完全版で公開しても良いという判決が下りたのでしょうか?

はい。今年の春にそういった判決が下りました。

Q:それは具体的にどのような判決でしたか?

一切のシーン削除・修正を行わなくても良いという判決でした。しかし、裁判はまだ係争中です。次の判決は恐らく大統領選挙後になるでしょう。尚、最初にシーン削除を命じた判じは、恐らくパク・チマン氏側の政治的パワーを意識したのでしょうが、その後左遷されました。

Q:最初に訴えられた経緯は?

当初、記者の方々には、作品の公開まで本作の製作を公表しないようにお願いしていました。しかし、シナリオを手に入れたマスコミが撮影終了直後にその内容を報道してしまったのです。そして、パク・チマン氏が <作品を見ずに> 訴えてしまったのです。

Q:完全版で明らかになったパク・チマン氏の葬儀の模様を捉えた記録映像部分では、大衆が歓喜に酔いしれていたように見えましたが、これは?

いえいえ。喜んでいたのではありませんよ。号泣しているのです。あのシーンで、観客の意識は25年前に入り込むことになりますね。そして、そこで現代の観客は何を思うのでしょう? この大衆のように号泣するのでしょうか? それとも戸惑うのでしょうか? そこを私は問いかけたいのです。ちなみに私の両親は保守的な人間です。父はリベラリストと言われていますが、共産主義者ではありません。当時の政権に反対していただけです。両親は号泣する民衆たちとは対照的に喜んでいましたが、共産主義者というわけではないのです。私もそうです。

© 2005 by MK PICTURES

Q:イム・サンス監督には、『ディナーの後に』で女性映画の監督であるようなイメージを持っていましたが、本作は政治的要素が強いですね。その転換意図は何でしょう?

特に転換したわけでも意図があったわけでもありません。両方をいつも持っていますよ。私は本作でパク・チョンヒ暗殺事件を通して70年代韓国を描きました。『浮気な家族』では現代人の姿を通して90年代韓国を、『懐かしの庭』では光州事件を通して80年代韓国を描きました。この3作品を【韓国現代史3部作】としています。次回はもっと国際的な作品を撮ってみたいと思っています。

Q:作中、日本の演歌や日本語が登場しますが、これらのシーンにはどのような思いを込められたのですか?

韓国は、35年間を日本の植民地として過ごしてきましたね。その中で、日本語がまるで母国語であるかのように機能していました。私の父も流れるような日本語を話します。そして、パク・チョンヒは親日家として知られていました。第二次大戦後、反日感情が高まり、表向きは反日を叫んでいた彼ですが、日本の文化や演歌が好きだったのです。公式的にシム・スビョンがパク・チョンヒの前で演歌を歌ったという記録はありませんが、彼女は日本の演歌を歌う歌手として有名でした。そこで私は <彼女は日本の演歌をパク・チョンヒの前で歌っただろう> と推測してあのシーンを撮ったわけです。しかし、私はその推測こそ真実だと思っています。なぜなら、彼女は「映画の内容が事実と違えば私も訴えます」と通達してきましたが、結果、私たちが訴えられることはなかったからです。

Q:当時の韓国では反日感情が根強かった。しかし、そういう中で高木正雄という日本名を持ち、親日家でもあったパク・チョンヒの姿があるわけですね。そういった歴史的事実を描いた作品にも関わらず、本作が韓国国内で正常な公開をされず、監督にとって不本意な修正版でしか上映されなかった。そういった中で、『無修正完全版』の公開がこの日本で行  われるということについて思われますか?

嬉しく思いますよ。まず、私自身に反日感情があったわけではありません。日本・韓国とで分けるより、<日本・韓国の右翼> <日本・韓国の左翼> と分けるべきでしょうね。韓国と日本は隣同士で離れようとしても離れられない関係です。なのに、アメリカばかり見てしまう。太平洋という大きな海があって遠く隔てられているというのに。もっと日本と韓国が見つめ合うべきだと思います。日本には4、5回来ていて、日本映画も好きです。本作は日本人の皆さんにとって小さい作品ですが、次回はもっと大きな作品を引っさげて日本に来たいですね。

Q:韓国国内での受け止め方はどうでしたか?

一切の論議をしないようにしていますから……しかし、芸術的真実の追究と、記録的真実の追究というのがあって、私は前者で真実の追究をしていきたいと思っています。

 ここで質疑応答は終了し、写真撮影に移りましたが、ここである記者の方が写真を撮りながら、もう一つ質問を投げかけました。この質問に対してイム・サンス監督がニコニコしながら発した言葉に、私はいたく感銘を感じたのです。そのやりとりを最後に示してレポートを締めくくることにしましょう。

Q:本作がこれほど問題になっていることについてどう思われますか?

問題を起こさない監督の方が問題だと私は思いますよ。

 どうです? これはなかなかの名言だと思われませんか? 言語・文化の枠を越えた映画人の一つの信念を見た思いがしました。

 それでは、また劇場でお逢いしましょう!!

ユゴ 大統領有故

2005 PRESIDENT'S LAST BANG 104分 韓国 監督:イム・サンス 脚本:イム・サンス 撮影:キム・ウヒョン 音楽:キム・ホンジプ 出演:ハン・ソッキュ/ペク・ユンシク/キム・ユナ/チョ・ウンジ/ソン・ジェホ/キム・ウンス/イ・ジェグ/キム・ソンウク/チョ・サンゴン/チョン・ウォンジュン/クォン・ビョンギル/ユン・ヨジョン

http://www.cinemart.co.jp/yugo/

12月15日より、東京:シネマート六本木にてロードショー
12月22日より、大阪:シネマート心斎橋にてロードショー
1月12日より、京都:京都シネマにてロードショー
ほか全国公開

2007年12月24日号掲載

< 北辰斜にさすところ(2008/1/8) | マリア(2007/11/26) >

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